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2009/09/08

今では出来ませんが

昨日の記事へのとんちゃんのコメントで思い出した話です

それは27、8年前の私が20代中頃だったころ

営業の仕事で九州、山陽方面へ行っていたのですが

今から考えると

もの凄くハードだったと思うのですよね~

確か夕方6時半ごろ出港のフェリーに神奈川県の川崎から乗り

翌日の午後2時半か3時ごろ宮崎県の日向へ着いて

そこからは延々車での移動でした

まず、このフェリーに乗るまでが気分が重かったのを覚えています

別にフェリー自体が嫌いなわけでもなく

右手に街の灯が見えるような沿岸を走っていくフェリーですから

それほど揺れるようなこともありませんでしたし

昼間に暇で海を見ていると

イルカがフェリーと並んで泳いでいる光景なんかも時々見れたりすることもありましたしね

では、何が気分を重くさせていたかというと

そこから始まる10数泊もの長~く1人での出張が嫌だったのです

こういうのって乗るまでは嫌なのですが

日向に着いてしまえばそれはそれで諦めというか

よーし、やるしかないsign03という感じになれたものでした

当時は海沿いに高速道路などなく(その後行ったことがないので、今あるのかどうか定かではありませんが・・・coldsweats01

延々海沿いの国道やら一般道を移動しながら客先を回っていたのです

日向から本来は時計回りに九州を1周するのですが

日向より北に宮崎県の客先があったため1度北上し宮崎県北部で仕事をし

同じ道を戻り

それから宮崎市内へ行き、

鹿児島県、熊本県、長崎県、佐賀県、福岡県とほぼ各県に1泊しながら回り

残った大分県へ南下して仕事をし

また戻って関門橋を渡って山口県へ入り

広島県、岡山県で仕事をしているころには疲れきっていたと思いますdown

それでも

岡山で仕事を終えるのが

いつも午後の4時~5時の間ぐらいで

会社へ「今、全て終わりました」と電話を入れると

「ゆっくり1泊して帰ってこい」と言われるのですが

10数泊もビジネスホテル暮らしをしていると

「もう嫌だsign03」って感じになり

早く帰りたいと

そのまま当時全線開通していなかった中国道の津山ICから乗って帰路についたのです

途中、給油と食事で2回休む以外は走りっぱなしで

会社はもう閉まっている時間ですので

我が家へ直接帰るのですが

その時間は午前2時とか3時だったことを覚えています

中国道を走っている時は

『大阪○○○km』という看板が出ていて

大阪を過ぎると

『京都○○km』になり

やがて『名古屋○○○km』という表示が出てきて

名古屋を過ぎると

確か『東京3百何km』という看板が出てくるのですが

まだまだ3百何キロもあるのに

「うわぁ~帰ってきたsign03」と嬉しくなったのを覚えています

そういえば

ラジオを聞きながら走っていたのですが

いつも静岡県あたりを走っていると日付が変わり

ラジオのDJの挨拶が

「おはようございます」になるのですよね

俺は寝てないんだから『おはよう』って言うんじゃないsign01って車の中でひとりごとを言いながら運転していましたよ~coldsweats01

それと覚えているのは

九州や山陽方面のお客さんが

月に1回やってくる20代のカー助に

「お前よくやるよなぁ」と言いながら良くしてくれたことですかね

よくお昼ご飯をご馳走になりましたし

カー助が自分の息子と同じくらいだという人には

「車の中で飲みなよ」と缶入りの飲料をいただいたりもしましたし

「気をつけて、また来月も来なよ」と暖かい言葉をかけてくれた人もいました

まぁ、今では到底出来ませんが

若かったから出来たのでしょうし

冷静に考えれば

ちょっと馬鹿で超~元気じゃないと出来ないかも?coldsweats01

ちなみに

この長~い出張は

「このままではカー助が会社を辞めちゃうか、死んじゃう」とのことで

九州営業所を作ることになるまでの2年弱続いたのですが

まぁ、1日も早く終わらせて帰りたいという感じでしたので

2年弱も毎月行きながら

どこ~も観光しなかったというか出来ませんでしたよね~

要領よくなりすぎた今なら

あっちこっち観光していたことだと思いますcoldsweats01

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コメント

こんばんわ

20代は無我夢中ですからね~
今考えると恐ろしいような事も出来たのですよね!
九州・山陽担当のカー助さんのすごい営業日記を拝見し、当時は皆、がむしゃらで要領が悪かったな~とsweat01
私も新採用の1年は365日勤めましたし、元日も日直をしました。coldsweats02
夏休みが1日もないのに31日にレポート提出で指導主事を呼んでの研修会。
でもそんな時代が育ててくれたのだと懐かしく思います。
津山から中国道を一気に帰られたのですね!
待っている人がいらしたのね!
急いで吹田あたりのオービスにかからなかったですか?

投稿: とんちゃん | 2009/09/08 19:11

とんちゃん

コメントありがとうございます
そうなんですよね~
今から考えると恐ろしいほどだったり
ちょっと馬鹿げて思えることも
当時は夢中でがむしゃらになってやっていたのですよね
まぁ、楽しいことも辛いことも
幸せなことも不幸せなことも
ある意味、全てが経験というものなのかもしれませんね

アハハ、待っていてくれる人はたくさんいましたよ
な~んたって当時カー助はモテてましたからねcoldsweats01
帰りの高速道は疲れていることを自覚していましたので
それほど飛ばさずに走っていましたので
オービス等でつかまることはありませんでしたhappy01

投稿: カー助 | 2009/09/09 09:05

こんにちはカー助さん記事で思い出しました。
主人の友人が20代の時の彼女のことで両方の親に大反対をされ、彼女は泣く泣く見合いをして親の決めた人と結婚をして九州に一旦は嫁いだのですが、彼女が忘れられないその友人は一人車で嫁ぎ先までさらいに行って一晩で九州往復して連れて帰ってきたことがありました。
もちろん携帯など無い時代にどのような方法で連絡を取り合ったかわかりませんがその後両方の親からそこまでするならと許してもらい今では」よくあんな事が出来たなあと笑い話になっていますがcarheart04。普通では考えたら出来ないような事が出来るのが若さなんですねhappy01

投稿: cuore | 2009/09/09 15:07

cuoreさん

コメントありがとうございます
とんちゃんのコメントの返信を書きながらカー助が思い出したことがあって
その記事を見ながらcuoreさんが思い出したことがあるなんて
思い出の連鎖ですね~
それって
お互い思い出すことが多くなった年齢ということですかね(失礼coldsweats01

ご主人の友人のお話は
映画「卒業」のダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスのようですね~

投稿: カー助 | 2009/09/09 15:38

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