いらない形容詞
先週、辻井伸行さんが
アメリカのバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したことが大きく伝えられています
まさに偉業であり
大きく伝えられることはいいことだと思うのですが
「全盲の日本人が初優勝」の伝え方はどうかと思います
『全盲』が先に来る報道に
この国の障害者に対する蔑視的な扱いが見えるような気がしていた私でしたが
先週の朝日新聞の「天声人語」にも
『快挙は<全盲の日本人が優勝>と伝えられた。ニュースの価値はそこにあっても、競演の結果に「全盲の」は要らない。それは演奏者の重い個性であるけれど、審査上は有利でも不利でもない。勝者が「たまたま」見えない人だったのだ』と書かれていた
確かに
見えないという個性を持った辻井さんの努力は大変なもので
両親をはじめとする周りのサポートの力も大きかったからの快挙であり
大きな賞賛に値すると思いますが
その不利さをものともせず
目が見えるとか見えないとか関係ない場で
聞く人や
審査員の心に響いたからの優勝ではないでしょうか?
もう1つ心が痛んだのは
記者会見での
「もし1日、目が見えたら何を見たいか?」という質問です
可能性のないことを聞くこの質問には
正直、非常識な質問だと思い腹が立ちましたが
「両親の顔が見たいが、今は心の目で見ているので満足です」と答えた辻井さんの答えに救われた気がしましたし
障害者を特別扱いするこの質問者よりも
20歳の辻井さんの方がはるかに人間が出来ているとも思わされました
今回の偉業は
マスコミの大好きな「ハンディを背負った英雄」的な扱いになりがちですが
彼の演奏こそ本当に評価されるべき、報道されるべきではないかと思います
マスコミの大きな取り上げ方は
彼のCDの売り上げを一気に伸ばし
コンサートチケットを完売にさせているとか
加熱しやすく冷めるのも早いマスコミと日本人
1年後に、数年後に彼のコンサートに真剣に足を運べる人がどれくらいいるのだろうか?とも思ってしまいます
ちなみに
昨年、大騒ぎされた日本人のノーベル賞受賞者の名前を覚えている人がどれくらいいるのでしょうかね?
今回の辻井さんのコンサートも
ブームに巻き込まれてしまうことに何か違和感を感じます
本来の彼のファンが
チケットが手に入らずコンサートに行けなくなるのではと心配してしまいます
そういう彼の音楽の真の理解者こそ
何年経っても彼の名前を忘れることはないでしょうし
彼の評価を「全盲だから」などとはしていないと思います
辻井さんには瞬間湯沸かし器のようなテレビ局を中心とするマスコミの一時的な大騒ぎにに巻き込まれず
素敵なピアニストになってもらいたいものです













































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