昔の話

2009/09/17

母親似のカー助?

先週書き込んだ記事「新しい命」にいただいたみなさんのカー助の母親のことのコメントを読みながら

これまた思い出した話で

当然かもしれませんが

カー助の母親のユニークというか

迷惑というかとぼけた話は最近に始まったわけではなく

昔からなのですよね~

昔は携帯電話などありませんでしたから

用事があれば家へ電話するしかありませんでしたよね

我が家は2階建てで

カー助の部屋は2階にあり

当時、親子電話でもなかった我が家の電話は1階にあって

たいがい電話が鳴ると母親がとるというパターンが多く

その日も「電話だよ~」と言われて1階に降り

電話を受け取り、話をしたあと

母親に「ちょっと出かけてくる」と言って外出し

1日遊んで帰って来て

しばらくすると

また「電話だよ~」と言われて電話に出ると

別の女の子の友達からで

「午前中に電話したら、お母さんが出て『さっき女の子から電話があって出かけて行きました』って言ってたよ」と言わたことがあります

その電話を切ってから

母親に「余計なこと言わなくていいよ」と言えば

「本当のことは余計なことかねぇ」と言いますし

ある時など

私の留守に電話をした女の子が

「もう少しまともな男を探した方がいいんじゃないの」と電話でうちの母親に言われたそうで

「どうしてそういうこと言うかなぁ?」と聞けば

「電話での話し方が真面目そうだったから、お前にはむいてな気がしたからね」などど言うのには参ります

普通、自分の息子の彼女は真面目そうな方がいいだろうと思うのですが

真面目そうな子は、私には似合わず他の男を探せというのでは

我が子は可愛くないのか?と思ってしまいますよね

大学生の時など

私が留守の時に電話があると

「土日は間違いなく毎週いませし、まぁ、帰ってもこないと思いますよ」と言ったり

「何時ごろ戻られますかね?」と電話で聞かれれば

「さぁ~、もう小さな子供じゃないですからそこまで管理してませんからね~」と言ってみたり

「私はマネージャーでも秘書でもありませんからね~」と言ったりもしたそうで

留守に電話をくれた人に次に会ったり

再度電話をもらったりすると

「カー助のお母さん面白いよね」とイヤミともとれることをよく言われたものです

最近では

私の息子(ばあさんからすると孫)に

いい人はいないのか?とか

そろそろ結婚をしたほうがいいんじゃないかsign01ということもあり

そんな時に

「お父さんの若いころは毎日毎日女の子から電話があったのにね~」とか

「それも何人も違う子から・・・」とか余計なことまで言っています

父親は父親で

息子がそれに似るとは限らないですし

今は時代も違い携帯電話に電話が出来るのですから

比較すること自体に無理があるとも思います

まぁ、カー助の母親ですから

一筋縄ではいかないのも仕方のないことかと思うのですが

時々「おい、おい」と思うようなことをやらかしたり

言ったりしてくれるわけで

その血筋というか

そんな母親似育てられた環境なのか

カー助は母親に似てしまったような気がしますし

娘にも私の血なのかばあさんの血なのか

ばあさんが育てたからなのかわかりませんが

それなりに影響しているようですが

息子はそんな血筋に関係なく育ったというか

亡くなった妻ににている感じで

ばあさん→カー助→娘が似た性格をしているのですから

1人違う感じの息子からしたら我々は大きな迷惑だろうとも思いますcoldsweats01

そんな母親似のカー助ですから

ひとこと多い性格なのは自分でもうなづけたりしますよね~coldsweats01

と他人のせいにするのはやっぱりダメですかねsweat02

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2009/09/15

追い越し禁止では捕まったことがありました

先週から昔の話シリーズのような書き込みが多くなっていますが

またまた

先週書いた「今では出来ませんが」へのとんちゃんのコメントの

「急いで吹田あたりのオービスにかかりませんでしたか?」というので

「そういえば・・・」と思い出したのが

スピード違反ではなく

追い越し禁止違反で捕まってしまったことです

場所はといえば

岡山県の山の中

九州での仕事を終え

山陽地域の仕事も終えようとしていた時で

少しだけ予定より遅れ気味の時間を何とか取り戻したいと思って

スピードを上げて車を走らせていると

岡山県の山中のくねくねした道で

ゆっくり進む車列の最後尾についてしまい

「なんだよー」と思い

イライラしながら

しばらくその車列の最後尾を走っていると

やがて、新しく作られたような道にさしかかり

こちらの山から下って

むこうの山へ登っていく真っ直ぐな長~い道になり

私が巻き込まれている車列の先頭に

タンクローリーがいるのが見え

さらには

真っ直ぐな道ですので

対向車が来ないことも確認でき

『ここで追い越せますよsign01』とばかりの環境に

急いでいたカー助は

黄色いセンターラインをまたいで対向車線へ出て

一気に加速しタンクローリーを先頭とする車列を抜き去り

元の車線に戻ったところで

むこうの山の中腹からパトカーが赤灯をつけて出てきたのを発見sign03

まぁ、その時はすでに遅しでしたが・・・coldsweats01

お行儀のいいカー助は

そのパトカーの手前に左に寄せて停車し

警察官が寄ってきて

「ずいぶん追い抜いたね~急いでいるの?」と言われますので

「ハイ、急いでいます」と素直なカー助が答えると

「何台追い抜いたかわかる?」との質問をされましたが

数えていなかったカー助は

「数えていませんでしたのでわかりません」と答えると

「13台だよ」と警察官がおっしゃいますので

「1台と13台と罰金や違反点数に違いがあるのですか?」と思わず素朴な疑問を聞いてみるカー助

「違反内容や罰金は同じだけど」と警察官

すると

もう1人の年配の警察官が

「そんなに一度に追い抜いたら危ないだろうってことだよ」とのありがたいご忠告

パトカーに乗り、免許証を出し

親指を立てているカー助に

「何してるの?」と警察官

「いやぁ~急いでいるので、早く違反切符をきってもらって拇印を押して行きたいので、その用意です」と言ったカー助に

「なんだぁ、ずいぶん違反慣れしてるんじゃないか?」とイヤミを言われ

「それほどでもありませんよ~」と謙遜して(?)カー助が言うと

免許証を見ながら「埼玉から来てるの?仕事?」と質問されましたので

「おまわりさんたちと一緒で仕事中です」と笑顔で答えたカー助

拇印を押して違反切符をいただくと

「まだまだ道中長いのだろうから違反せず気をつけて行きなさい」と言われ

「ハイ、わかりました~」と元気に答えて車に乗り込み

走り出してバックミラーを見ると

パトカーは先程出てきた横道に入って行きました

遅い車がいて

追い抜けない山道が続いたあとにあるこの直線道路部分は

絶好の追い越し禁止違反を捕まえる場所なのだな~と1つ勉強にはなったのですが

やはり罰金は痛かったですよねdowncrying

2年弱担当していた九州、山陽地域へ営業に行っていて

これが唯一違反で捕まった経験で

その後に都内で何度か駐車違反では捕まりましたが

大きな違反点数のもので捕まることがなかったのは幸いですかね

少し前からはカー助もゴールド免許ですので

このままゴールド免許でドライバー人生を続けたいとは思っていますが

忘れたころに捕まるのが交通違反だったりもしますから気をつけたいと思いますcoldsweats01

そうそう

違反だけじゃなく事故もしないようにですよね~

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2009/09/09

「もしも」は、ありえないのですが・・・

昨日の記事を書きながら

さらに思い出してしまったことがあります

昨日も書きましたように

かなりハードな日程の営業活動を続けていた若かりし日のカー助青年は

自分で言うのもなんですがcoldsweats01

お客さんの評判もそこそこ良く

売り上げも順調に伸びていました

そんな中で

ある1軒の得意先の売り上げは4倍ほどに伸び

そこの社長にもかわいがられ

訪問時に社長が出かけていると

経理担当をしている社長の奥さんとお茶をいただきながら世間話をしたりして社長の帰りを待っている時に

「あんた、若いのに何でそんなに一生懸命働くの?」と聞かれ

「う~ん、お金貯めて買いたい車があるからですかね」などと答えたような記憶があり

ある時

その社長に「今晩、うちへ来て夕飯を食べないか?」と誘われ

ご馳走になることとなり

大~きな家へお邪魔し

色々な話をしているうちに

社長が「うちへ婿養子に来ないか?」と言い出しました

「・・・・・」という感じのカー助に

「俺のところは娘2人で、うちの奴も君みたいな働き者が婿養子に来てくれたらと言っているんだよ」と続けた社長

「いやぁ~」と突然の話に戸惑うカー助に

「婿養子に来てくれたらベンツでもダンプでも買ってあげる」と奥さん

ベンツはともかくダンプはいりませんが・・・sweat02

この話

こちらを担当しだして1年半ほどのころで

それからまもなく担当をはずれることもあり

「申し訳ありませんが私は1人っ子なので婿養子には行けません」と丁重にお断りすることとなりました

若くてまだまだ純でしたので

ベンツにつられることもなかったというか

娘さんはカー助のタイプじゃなかったというのもありましたがcoldsweats01

もし、娘さんがカー助のタイプだったら

どうなっていたのでしょうかね~

まぁ、人生に「もしも」はありえず

戻ってやり直すことも出来ないからこそ面白くもあり

時に残酷でもあるのではないかとカー助は思っています

人生にはいくつも分かれ道があり

その時に良さそうな方を選んだからといって

その後もずーーーーっといいとも限りませんし

今頃ベンツのオープンカーを乗り回している可能性もありますが

会社を潰して路頭に迷っている可能性だってあると思います

まぁ、そんな昔の話を冗談まじりに出来ることは幸せなことなのかもしれませんし

小さなことからどんどん昔のことが思い出されるということは

それだけ年を取ったという証拠でもありますよね~

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2009/09/08

今では出来ませんが

昨日の記事へのとんちゃんのコメントで思い出した話です

それは27、8年前の私が20代中頃だったころ

営業の仕事で九州、山陽方面へ行っていたのですが

今から考えると

もの凄くハードだったと思うのですよね~

確か夕方6時半ごろ出港のフェリーに神奈川県の川崎から乗り

翌日の午後2時半か3時ごろ宮崎県の日向へ着いて

そこからは延々車での移動でした

まず、このフェリーに乗るまでが気分が重かったのを覚えています

別にフェリー自体が嫌いなわけでもなく

右手に街の灯が見えるような沿岸を走っていくフェリーですから

それほど揺れるようなこともありませんでしたし

昼間に暇で海を見ていると

イルカがフェリーと並んで泳いでいる光景なんかも時々見れたりすることもありましたしね

では、何が気分を重くさせていたかというと

そこから始まる10数泊もの長~く1人での出張が嫌だったのです

こういうのって乗るまでは嫌なのですが

日向に着いてしまえばそれはそれで諦めというか

よーし、やるしかないsign03という感じになれたものでした

当時は海沿いに高速道路などなく(その後行ったことがないので、今あるのかどうか定かではありませんが・・・coldsweats01

延々海沿いの国道やら一般道を移動しながら客先を回っていたのです

日向から本来は時計回りに九州を1周するのですが

日向より北に宮崎県の客先があったため1度北上し宮崎県北部で仕事をし

同じ道を戻り

それから宮崎市内へ行き、

鹿児島県、熊本県、長崎県、佐賀県、福岡県とほぼ各県に1泊しながら回り

残った大分県へ南下して仕事をし

また戻って関門橋を渡って山口県へ入り

広島県、岡山県で仕事をしているころには疲れきっていたと思いますdown

それでも

岡山で仕事を終えるのが

いつも午後の4時~5時の間ぐらいで

会社へ「今、全て終わりました」と電話を入れると

「ゆっくり1泊して帰ってこい」と言われるのですが

10数泊もビジネスホテル暮らしをしていると

「もう嫌だsign03」って感じになり

早く帰りたいと

そのまま当時全線開通していなかった中国道の津山ICから乗って帰路についたのです

途中、給油と食事で2回休む以外は走りっぱなしで

会社はもう閉まっている時間ですので

我が家へ直接帰るのですが

その時間は午前2時とか3時だったことを覚えています

中国道を走っている時は

『大阪○○○km』という看板が出ていて

大阪を過ぎると

『京都○○km』になり

やがて『名古屋○○○km』という表示が出てきて

名古屋を過ぎると

確か『東京3百何km』という看板が出てくるのですが

まだまだ3百何キロもあるのに

「うわぁ~帰ってきたsign03」と嬉しくなったのを覚えています

そういえば

ラジオを聞きながら走っていたのですが

いつも静岡県あたりを走っていると日付が変わり

ラジオのDJの挨拶が

「おはようございます」になるのですよね

俺は寝てないんだから『おはよう』って言うんじゃないsign01って車の中でひとりごとを言いながら運転していましたよ~coldsweats01

それと覚えているのは

九州や山陽方面のお客さんが

月に1回やってくる20代のカー助に

「お前よくやるよなぁ」と言いながら良くしてくれたことですかね

よくお昼ご飯をご馳走になりましたし

カー助が自分の息子と同じくらいだという人には

「車の中で飲みなよ」と缶入りの飲料をいただいたりもしましたし

「気をつけて、また来月も来なよ」と暖かい言葉をかけてくれた人もいました

まぁ、今では到底出来ませんが

若かったから出来たのでしょうし

冷静に考えれば

ちょっと馬鹿で超~元気じゃないと出来ないかも?coldsweats01

ちなみに

この長~い出張は

「このままではカー助が会社を辞めちゃうか、死んじゃう」とのことで

九州営業所を作ることになるまでの2年弱続いたのですが

まぁ、1日も早く終わらせて帰りたいという感じでしたので

2年弱も毎月行きながら

どこ~も観光しなかったというか出来ませんでしたよね~

要領よくなりすぎた今なら

あっちこっち観光していたことだと思いますcoldsweats01

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2009/09/02

昔を想い出してしまう曲

先週、「週間 鉄道模型 少年時代」のコマーシャルを見て

あの昔懐かしい感じのジオラマが欲しくなった話を書きましたが

今日はCMに使われている曲で昔を懐かしく思い出した話です

何のCMかというと

mandom(マンダム)のGATSBY(ギャツビー)のコマーシャル

そう!木村拓哉さんが出ているもので

映像もなかなか面白く出来ていますが

私に昔を想い出させたのは

流されている曲でして

そもそもの原曲は30年以上前に流行った

スタイリスティックス(The Stylistics)の『愛がすべて』(I can't Give You Anything)で

それをパロって

I CAN GIVE YOU GATSBYとして流されているのですが

これがなかなか良く出来ていて

原曲を壊さず

良き時代のディスコミュージックのままなのですが

私が想い出した情景は

当時行っていたディスコではなく

大学生の時の夏休みに

高原のホテルで皿洗いのアルバイトをしていた時のことなのです

住み込みで40日間以上休み無しのアルバイトで

辛い部分もありましたが

それなりに結構楽しくもやっていた気がします

そのホテルのジュークボックス(←若い人は知らない言葉?coldsweats01)に

スタイリスティックスの『愛がすべて』が入っていて

お客さんがよくかけていた曲で

日によっては何度も何度も聴いていたのですよね~

そして

あれから30数年

テレビから流れてきた曲に

うわぁー懐かしいsign03

と思ったと同時に

当時の情景が想い出されてきたのです

そんな意味からすると

私にとってはこの曲は

夏を想い出させてくれる1曲なのかもしれませんね

昔のことを想い出して感慨にふけるようになったということは

それだけ年を取ったということでしょうが

現実問題、これから先より

過ごしてきた時間の方が長いのですから

当然と言えば当然なのかもしれませんよねcoldsweats01

ちなみに

GATSBY:CMスタジオというホームページでは

http://www.gatsby.jp/cmstudio/index.html

9パターンのCMが見れるようになっていますし

全てのCMのバックに I CAN GIVE YOU GATSBY が流れていますので

興味のある方は見て

いやいや、note聴いてみてください

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2009/07/21

日食グラス?

明日7月22日は日本で46年ぶりに観測できる皆既日食だとか

関東地方でも部分日食は見ることが出来るそうですが

サングラスや黒い下敷き等で見ることは危険だと

テレビのニュースで報道していて

日食グラスなるものが発売されているとか・・・

それが可視光線だけでなく赤外線等も遮断してくれて

目に安全だとのこと

ただし

この日食グラス、売れに売れているそうで

もうメーカーには在庫は無く

販売店にもほとんど残っていないとか

そりゃそうですよね

メーカーとしては作り過ぎてしまったら

「次の皆既日食まで待つ」なんて出来るわけもありませんからね

ところで

46年前の皆既日食の時のことを

今回の過剰なまでの報道と大騒ぎで

私はそれとなく思い出しました

当時、小学校低学年だったと思うのですが

校庭に出て

今や危険だといわれている黒い下敷きで

先生の指導の下、みんなで欠けた太陽を観察していたのです

幸い目に異常はなかったようですが

知らないとは怖いものですよね

昔のことをあまり鮮明に覚えていないことが非~常に多い

いい加減なカー助なのですが

今回の46年ぶりという皆既日食騒動で

なぜか少しだけ記憶の片隅に完全に埋没していたのだろうことを思い出した次第です

記憶とはある意味不思議なものです

普段では絶対に思い出さないだろうことが

何かの拍子に思い出されたりもするのですよね~

テレビのインタビューで

皆既日食を見て人生観が変わったなんて人も出ていましたが

私的には

そんなことで変わる人生観って安っぽくないか?と思ってしまいますし

46年前も鼻たれ小僧だったせいか

皆既日食に特別感動をした覚えもなく

今回の皆既日食も

単に太陽が隠れただけで

それって雲に隠れるのと大差ないと思うわけで

特別感動しないだろう私は

むしろ

記憶の不思議の方に感動してしまうのですよね~coldsweats01

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2009/03/27

布団で思い出した話

昨日の書き込み「布団の打ち直し」を書きながら思い出した話です

元々どこでも眠れるカー助で

「枕がかわったら眠れない」なんて人が信じられない方で

アルバイトしていた厨房で

丸イスに座りながら寝てしまったこともあれば

満員電車のつり革につかまりながら寝てしまい

ガクッとなって目がさめたこともあるぐらいでcoldsweats01

アハハ、そういえば

エッチしながら一瞬寝てしまい

下から「今、ちょっと寝たでしょう」と言われたこともありましたcoldsweats01

よ~く考えると

どこでも寝れて、寝つきがいいを超越している気もしますね

30年ほど前

大学を卒業して働き出した私の面倒をみてくれていた

1年先輩のNさんという人がいて

仕事のことを色々教えてくれたほかに

飲みにもよく連れていってくれました

週末のある日

次の日が休みであるということもあり

飲みすぎて終電を乗り過ごしてしまい

「しょうがない俺のところへ泊まれよ」とNさん

お言葉に甘えてそうすることにし

Nさんのアパートへ初めて向かいました

今にも倒れそうなNさんのアパートへ着くと

鍵を開けずにドアを開けたNさん

「いくらオンボロアパートでも無用心じゃないか?」と思いながら

Nさんに続いて部屋の中に入ると

「お帰りなさい」と女性の声

えっ!Nさんって独身のはずなのに・・・と思っていると

「俺、同棲してるんだよ。会社の人には内緒にしておいてくれよな」と私に言い

「こいつ会社の後輩のカー助で、今晩泊めてやることにしたから」と同棲相手の女性に言うNさん

「今晩は、いつもお世話になっています」とその女性に言われ

「今晩は、当然お邪魔してすみません」と挨拶した私は

「同棲しているって教えてくれていたら来なかったのに・・・」と心の中で思いましたが

もう来てしまったのだから仕方ないですよね

それからビールを出してもらって

3人で少し話をして寝ることに

といっても

Nさんのところには

オンボロアパートには不釣合いな立派なダブルベッドしか寝具はなく

私は4枚の座布団を1列に並べて寝ることに

なぜ4枚かというと

Nさんのところには座布団が4枚しかなかったからです

正確には

3枚を並べ、1枚を半分に折って枕代わりにしたのです

当然、足は畳の上

「それで大丈夫ですか?眠れます?」とNさんの同棲相手の女性が心配してくれて言えば

「それじゃぁ3人でベッドで寝るか?」と大笑いで同棲相手をからかうNさん

まぁ、7月頃で暑い日でもありましたし

かなり飲んでいたこともあり

座布団でも平気で

すぐに寝付いてしまい

目が覚めたのは次の日のお昼前近くで

暑くて、ノドが渇いて目がさめました

Nさんはまだ寝ていて

同棲相手の女性はすでに起きていて

「おはようございます。そこで寝れましたか?」と

「おはようございます。どこでも寝れるのがとりえですから・・・(笑)」

まぁ、1列に並んだ座布団からはみ出しもせず寝れるのですから

本当にとりえかもしれませんcoldsweats01

やがて起きてきたNさんは

「布団1組買っておくよ」と

「いや~、同棲しているところへもう泊まりに来ませんよ」と、この時心の中で思ったカー助でしたが

数週間後

「お前の分の布団買ったから、今晩遅くまで飲んでも大丈夫だからな」と言われ

再び泊めてもらったカー助で

その後も何度かその布団にお世話になってしまいました

ちなみに

Nさんたちは1年ほどの同棲のあと結婚しました







その数年後、Nさんの浮気が原因で離婚してしまいました

あの布団はどうなったのでしょうかね

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2009/03/11

少年のような顔をして

先週、久しぶりにY社長から電話があり

「しばらく会っていないし、話したい仕事のこともあるし、昼飯でも食べに来ない?」と言われ

昨日、町田まで行って来たのですが

やっぱり遠いわ~

まぁ、それでも昔に比べれば

圏央道が出来たおかげで

我が家からはすぐに高速に乗れるのですが

Y社長のところは

どこのインターチェンジで降りても

一般道が混んでいて、そこから1時間はかかります

なんとか11時ごろに到着し

「カー助さんは変わらないね~」と迎えてもらい

Y社長と私とKさんをまじえて仕事の話を30分ほどし

その後、雑談になり

Y社長が「MR-Sって、乗ってもう何年になる?」と聞いてきましたので

「約8年で走行距離はもう10万5千キロですよcoldsweats01」と答えると

Kさんが「大事に乗ってますよね」と言い

そこから話が車の話にのめり込んでいきました

Y社長が「俺、べレット探しているんだ」と

レクサスに乗っている社長がべレット?って感じですが

「何でまた?」と私が聞くと

若い頃、あこがれだったけど買えなくて

今なら買えるようになったということらしいです

関東のレストアショップを何軒か見て回ったというから

どうやら本気らしく

「べレット1600GTRが欲しくて探しているけど、程度のいいのが見つからない」とY社長

さらに「初期の手作りの117クーペも欲しいんだ」というY社長

そこで

私が先日行ったノスタルジック2デイズの話をすると

「そんなのがあるの!」とY社長

ついでに1月末に行ったクラッシックカー協会主催のニューイヤーミーティングの話もしてあげると

Y社長もKさんも「そんなのあるの!」「行ってみたい」「次はいつどこである?」と真剣な話に

Y社長もKさんも私より少し年上で

青春時代は車が楽しみの1つだった世代で

クラッシックカーのイベントにはどんな車があったのか?とか

ノスタルジック2デイズの方は販売している業者の展示がメインだという話をすれば

「べレット1600GTRも売ってた?」とか

「どんな車がいくらぐらいで売っていたのか?」とか

話は広がる一方です

運転免許を取って

安い中古の車を買って

アルバイトしてタイヤとホイール履き替えてって世代ですので

私が「初めて買ったアルミホイールはエンケイのデッシュでしたよ」と言えば

Kさんが笑いながら「私もエンケイのデッシュでしたよ」と

「『RSワタナベ』とかあった、あった」とホイールやタイヤの話で盛り上がり

私が「コンポはパイオニアのロンサムカーボーイつけてましたよ」と言えば

Y社長は、スピーカーの型番まで覚えているので驚きです

3人は

まるで少年のような顔で車の話というか昔の話に夢中です

気づくと1時近くになっていて

食事するために3人で

Y社長のレクサスに乗り

「昔の車に比べたら、はるかにこの車の方が乗り心地はいいですよ」と私が言えば

「便利で快適だけど、これは移動手段で夢がない。べレットに買い換えるわけじゃないから大丈夫!そっちはある意味オモチャで夢があるんだよ」とY社長

食事をしながらも車の話は続き

私がクラッシックカーのイベントを見つけたら

Y社長に連絡することになりました

貧乏だった昔の話を楽しく出来ることは幸せなことかもしれないと思ったカー助です

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2009/02/24

遠~い記憶も思い出せます

昨日の朝、9時過ぎに

携帯電話が鳴り

見るとUさんからの電話で

「おはよう」と私が出ると

「今日、暇だろう?これから行くから一緒に昼飯食べよう」と言うUさんに

「わかった。待ってる」と答えた私

昔は頻繁に会っていたUさんですが

最近は年に1度

この時期に遊びに来るUさんは

サラリーマンを辞め

植木屋さん手伝いをしている昔の仕事関係の友人です

雨が降って仕事が休みの時で

植木屋さんが暇なこの時期にやって来るUさんのことは

昨年の今頃もブログに書いた覚えがあります

気が合い、口の悪いところも合う2人

11時頃にUさんはやって来て

彼がしばらく会っていなくて

私の方が会っている共通の友人の話を「あいつどうしている?」と聞いてきて

私がそれに答えて話し

逆に

私がしばらく会っていなくて

彼が会っている人の話を

私が聞いて

「そうなんだ~」とか言いながら

昔のことなど思い出して大笑いしながら話が弾みます

どちらかが「あいつ、あいつ、え~と名前が出てこない」と言えば

「○○さんだろう」と片方が覚えていたりと

不思議に話がつながり

それと同時に

すっかり忘れていたことも思い出したりするのですよね

まぁ、思い出したからって何の得にもならない話が多いのですがcoldsweats01

彼とこうして年に1度話さなければ

記憶の片隅に完全に埋没してしまって

2度と思い出すこともない話が

それはそれで愉快なほど思い出されるのです

それだけ年月を重ねて生きてしまった証拠でもあるとも思いますし

Uさんいわく

「近い昔のことは忘れて、遠い昔のことは思い出せるのが年取った証拠だよな」だそうです

まぁ、それと

遠~い昔の若い頃は

平気で馬鹿なことも出来たし、していたから思い出して笑えるのかもしれないとも思います

そんな貴重な友人のUさんは

「近いうちに飲もう」と言って帰っていきました

飲みながらの会話だと

昨日の会話のように忘れかけていたことを思い出しながらの話は絶対に無理だと思いますが

それはそれでまた楽しくもあり

いいのかもしれません

何たって2人には

「他人の悪口」という酒の肴がありますからねhappy01

昔の友人に会って話して

少し元気が出たカー助でした

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2009/02/20

レコードは覚えていますがCDは忘れてしまいました

コネタマ参加中: 初めて自分で買ったCD(レコード)を教えて!

ココログのコネタマに

「初めて自分で買ったCD(レコード)を教えて!」というのを見つけ

思い出してみると

一番初めに手にしたレコードは

大~~昔の小学校の高学年の時に

誕生日プレゼントだったと思うのですが

親に

オモチャのようなレコードプレーヤーとソノシートレコードを買ってもらったのが

「初めて手にしたレコード」だった気がします

ソノシートなんてすでに死語で

私たちの世代には懐かしい感じですが

今の若い人は知りませんよねcoldsweats01

何のソノシートだったかというと

マンガの「巨人の星」のソノシートで

主題歌とちょっとしたストーリーが入っていました

まぁ、これは「初めて自分で買った」ではありませんので

初めて自分で買ったレコードはというと

中学生の時に

ビートルズのLP「ヘイ・ジュード」を買ったのがそれだった気がします

当時、ラジオを聞くことが流行っていて

深夜放送等をよく聞いていました

そこから洋楽を聴くようになり

買ったレコードです

中学生の時はお金も無く

お年玉とかもらうと洋楽のレコードを買っていたのを思い出します

まぁ、それでも中学生の時は

お金もそれほど持っていませんでしたから

どのレコードを買うか悩みに悩んで買っていた気がしますので

そう多くのレコードを買えたわけではありません

高校生になり

フォークソングブームに影響され

よしだたくろうや井上陽水やかくや姫のレコードを買い

毎日毎日

まさしく「擦り切れるほど」レコードを聴いていたものですcoldsweats01

その後も色々なレコードを買って

たくさん持っていたレコード盤でしたが

いつの間にかCDが主流となり

レコードプレイヤーのあるステレオが壊れて処分した時に

レコード盤も処分してしまったような気がします

時代はレコードからCDにかわっていったわけで

当然、私にも初めて買ったCDがあるはずなのですが

それが何だったのか思い出せないのですよね

40年ぐらいも前のソノシートのことや

35年ほど前のレコードのことは覚えているのに

それより後の「初めて買ったCD」が何だったのか思い出せないのは

初めて買ってもらったソノシートや

自分で初めて買ったレコードほど感動がなかったということでしょうかね

初めてのCDを買った時には

すでに働いていて

気軽に買えたから覚えていないのかもしれませんね

そう考えると

お金が自由に使えない方が

買った(買ってもらった)感動は大きく

忘れないのかもしれませんね

好きなものを気軽に買えることと

夢の大きさや大切さなどは反比例するのかもしれないと思ったりもしてしまいます

クリックもお願いしますhappy01

     ↓

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