昔の話

2009/09/17

母親似のカー助?

先週書き込んだ記事「新しい命」にいただいたみなさんのカー助の母親のことのコメントを読みながら

これまた思い出した話で

当然かもしれませんが

カー助の母親のユニークというか

迷惑というかとぼけた話は最近に始まったわけではなく

昔からなのですよね~

昔は携帯電話などありませんでしたから

用事があれば家へ電話するしかありませんでしたよね

我が家は2階建てで

カー助の部屋は2階にあり

当時、親子電話でもなかった我が家の電話は1階にあって

たいがい電話が鳴ると母親がとるというパターンが多く

その日も「電話だよ~」と言われて1階に降り

電話を受け取り、話をしたあと

母親に「ちょっと出かけてくる」と言って外出し

1日遊んで帰って来て

しばらくすると

また「電話だよ~」と言われて電話に出ると

別の女の子の友達からで

「午前中に電話したら、お母さんが出て『さっき女の子から電話があって出かけて行きました』って言ってたよ」と言わたことがあります

その電話を切ってから

母親に「余計なこと言わなくていいよ」と言えば

「本当のことは余計なことかねぇ」と言いますし

ある時など

私の留守に電話をした女の子が

「もう少しまともな男を探した方がいいんじゃないの」と電話でうちの母親に言われたそうで

「どうしてそういうこと言うかなぁ?」と聞けば

「電話での話し方が真面目そうだったから、お前にはむいてな気がしたからね」などど言うのには参ります

普通、自分の息子の彼女は真面目そうな方がいいだろうと思うのですが

真面目そうな子は、私には似合わず他の男を探せというのでは

我が子は可愛くないのか?と思ってしまいますよね

大学生の時など

私が留守の時に電話があると

「土日は間違いなく毎週いませし、まぁ、帰ってもこないと思いますよ」と言ったり

「何時ごろ戻られますかね?」と電話で聞かれれば

「さぁ~、もう小さな子供じゃないですからそこまで管理してませんからね~」と言ってみたり

「私はマネージャーでも秘書でもありませんからね~」と言ったりもしたそうで

留守に電話をくれた人に次に会ったり

再度電話をもらったりすると

「カー助のお母さん面白いよね」とイヤミともとれることをよく言われたものです

最近では

私の息子(ばあさんからすると孫)に

いい人はいないのか?とか

そろそろ結婚をしたほうがいいんじゃないかsign01ということもあり

そんな時に

「お父さんの若いころは毎日毎日女の子から電話があったのにね~」とか

「それも何人も違う子から・・・」とか余計なことまで言っています

父親は父親で

息子がそれに似るとは限らないですし

今は時代も違い携帯電話に電話が出来るのですから

比較すること自体に無理があるとも思います

まぁ、カー助の母親ですから

一筋縄ではいかないのも仕方のないことかと思うのですが

時々「おい、おい」と思うようなことをやらかしたり

言ったりしてくれるわけで

その血筋というか

そんな母親似育てられた環境なのか

カー助は母親に似てしまったような気がしますし

娘にも私の血なのかばあさんの血なのか

ばあさんが育てたからなのかわかりませんが

それなりに影響しているようですが

息子はそんな血筋に関係なく育ったというか

亡くなった妻ににている感じで

ばあさん→カー助→娘が似た性格をしているのですから

1人違う感じの息子からしたら我々は大きな迷惑だろうとも思いますcoldsweats01

そんな母親似のカー助ですから

ひとこと多い性格なのは自分でもうなづけたりしますよね~coldsweats01

と他人のせいにするのはやっぱりダメですかねsweat02

| | コメント (6)

2009/09/15

追い越し禁止では捕まったことがありました

先週から昔の話シリーズのような書き込みが多くなっていますが

またまた

先週書いた「今では出来ませんが」へのとんちゃんのコメントの

「急いで吹田あたりのオービスにかかりませんでしたか?」というので

「そういえば・・・」と思い出したのが

スピード違反ではなく

追い越し禁止違反で捕まってしまったことです

場所はといえば

岡山県の山の中

九州での仕事を終え

山陽地域の仕事も終えようとしていた時で

少しだけ予定より遅れ気味の時間を何とか取り戻したいと思って

スピードを上げて車を走らせていると

岡山県の山中のくねくねした道で

ゆっくり進む車列の最後尾についてしまい

「なんだよー」と思い

イライラしながら

しばらくその車列の最後尾を走っていると

やがて、新しく作られたような道にさしかかり

こちらの山から下って

むこうの山へ登っていく真っ直ぐな長~い道になり

私が巻き込まれている車列の先頭に

タンクローリーがいるのが見え

さらには

真っ直ぐな道ですので

対向車が来ないことも確認でき

『ここで追い越せますよsign01』とばかりの環境に

急いでいたカー助は

黄色いセンターラインをまたいで対向車線へ出て

一気に加速しタンクローリーを先頭とする車列を抜き去り

元の車線に戻ったところで

むこうの山の中腹からパトカーが赤灯をつけて出てきたのを発見sign03

まぁ、その時はすでに遅しでしたが・・・coldsweats01

お行儀のいいカー助は

そのパトカーの手前に左に寄せて停車し

警察官が寄ってきて

「ずいぶん追い抜いたね~急いでいるの?」と言われますので

「ハイ、急いでいます」と素直なカー助が答えると

「何台追い抜いたかわかる?」との質問をされましたが

数えていなかったカー助は

「数えていませんでしたのでわかりません」と答えると

「13台だよ」と警察官がおっしゃいますので

「1台と13台と罰金や違反点数に違いがあるのですか?」と思わず素朴な疑問を聞いてみるカー助

「違反内容や罰金は同じだけど」と警察官

すると

もう1人の年配の警察官が

「そんなに一度に追い抜いたら危ないだろうってことだよ」とのありがたいご忠告

パトカーに乗り、免許証を出し

親指を立てているカー助に

「何してるの?」と警察官

「いやぁ~急いでいるので、早く違反切符をきってもらって拇印を押して行きたいので、その用意です」と言ったカー助に

「なんだぁ、ずいぶん違反慣れしてるんじゃないか?」とイヤミを言われ

「それほどでもありませんよ~」と謙遜して(?)カー助が言うと

免許証を見ながら「埼玉から来てるの?仕事?」と質問されましたので

「おまわりさんたちと一緒で仕事中です」と笑顔で答えたカー助

拇印を押して違反切符をいただくと

「まだまだ道中長いのだろうから違反せず気をつけて行きなさい」と言われ

「ハイ、わかりました~」と元気に答えて車に乗り込み

走り出してバックミラーを見ると

パトカーは先程出てきた横道に入って行きました

遅い車がいて

追い抜けない山道が続いたあとにあるこの直線道路部分は

絶好の追い越し禁止違反を捕まえる場所なのだな~と1つ勉強にはなったのですが

やはり罰金は痛かったですよねdowncrying

2年弱担当していた九州、山陽地域へ営業に行っていて

これが唯一違反で捕まった経験で

その後に都内で何度か駐車違反では捕まりましたが

大きな違反点数のもので捕まることがなかったのは幸いですかね

少し前からはカー助もゴールド免許ですので

このままゴールド免許でドライバー人生を続けたいとは思っていますが

忘れたころに捕まるのが交通違反だったりもしますから気をつけたいと思いますcoldsweats01

そうそう

違反だけじゃなく事故もしないようにですよね~

| | コメント (6)

2009/09/09

「もしも」は、ありえないのですが・・・

昨日の記事を書きながら

さらに思い出してしまったことがあります

昨日も書きましたように

かなりハードな日程の営業活動を続けていた若かりし日のカー助青年は

自分で言うのもなんですがcoldsweats01

お客さんの評判もそこそこ良く

売り上げも順調に伸びていました

そんな中で

ある1軒の得意先の売り上げは4倍ほどに伸び

そこの社長にもかわいがられ

訪問時に社長が出かけていると

経理担当をしている社長の奥さんとお茶をいただきながら世間話をしたりして社長の帰りを待っている時に

「あんた、若いのに何でそんなに一生懸命働くの?」と聞かれ

「う~ん、お金貯めて買いたい車があるからですかね」などと答えたような記憶があり

ある時

その社長に「今晩、うちへ来て夕飯を食べないか?」と誘われ

ご馳走になることとなり

大~きな家へお邪魔し

色々な話をしているうちに

社長が「うちへ婿養子に来ないか?」と言い出しました

「・・・・・」という感じのカー助に

「俺のところは娘2人で、うちの奴も君みたいな働き者が婿養子に来てくれたらと言っているんだよ」と続けた社長

「いやぁ~」と突然の話に戸惑うカー助に

「婿養子に来てくれたらベンツでもダンプでも買ってあげる」と奥さん

ベンツはともかくダンプはいりませんが・・・sweat02

この話

こちらを担当しだして1年半ほどのころで

それからまもなく担当をはずれることもあり

「申し訳ありませんが私は1人っ子なので婿養子には行けません」と丁重にお断りすることとなりました

若くてまだまだ純でしたので

ベンツにつられることもなかったというか

娘さんはカー助のタイプじゃなかったというのもありましたがcoldsweats01

もし、娘さんがカー助のタイプだったら

どうなっていたのでしょうかね~

まぁ、人生に「もしも」はありえず

戻ってやり直すことも出来ないからこそ面白くもあり

時に残酷でもあるのではないかとカー助は思っています

人生にはいくつも分かれ道があり

その時に良さそうな方を選んだからといって

その後もずーーーーっといいとも限りませんし

今頃ベンツのオープンカーを乗り回している可能性もありますが

会社を潰して路頭に迷っている可能性だってあると思います

まぁ、そんな昔の話を冗談まじりに出来ることは幸せなことなのかもしれませんし

小さなことからどんどん昔のことが思い出されるということは

それだけ年を取ったという証拠でもありますよね~

| | コメント (0)

2009/09/08

今では出来ませんが

昨日の記事へのとんちゃんのコメントで思い出した話です

それは27、8年前の私が20代中頃だったころ

営業の仕事で九州、山陽方面へ行っていたのですが

今から考えると

もの凄くハードだったと思うのですよね~

確か夕方6時半ごろ出港のフェリーに神奈川県の川崎から乗り

翌日の午後2時半か3時ごろ宮崎県の日向へ着いて

そこからは延々車での移動でした

まず、このフェリーに乗るまでが気分が重かったのを覚えています

別にフェリー自体が嫌いなわけでもなく

右手に街の灯が見えるような沿岸を走っていくフェリーですから

それほど揺れるようなこともありませんでしたし

昼間に暇で海を見ていると

イルカがフェリーと並んで泳いでいる光景なんかも時々見れたりすることもありましたしね

では、何が気分を重くさせていたかというと

そこから始まる10数泊もの長~く1人での出張が嫌だったのです

こういうのって乗るまでは嫌なのですが

日向に着いてしまえばそれはそれで諦めというか

よーし、やるしかないsign03という感じになれたものでした

当時は海沿いに高速道路などなく(その後行ったことがないので、今あるのかどうか定かではありませんが・・・coldsweats01

延々海沿いの国道やら一般道を移動しながら客先を回っていたのです

日向から本来は時計回りに九州を1周するのですが

日向より北に宮崎県の客先があったため1度北上し宮崎県北部で仕事をし

同じ道を戻り

それから宮崎市内へ行き、

鹿児島県、熊本県、長崎県、佐賀県、福岡県とほぼ各県に1泊しながら回り

残った大分県へ南下して仕事をし

また戻って関門橋を渡って山口県へ入り

広島県、岡山県で仕事をしているころには疲れきっていたと思いますdown

それでも

岡山で仕事を終えるのが

いつも午後の4時~5時の間ぐらいで

会社へ「今、全て終わりました」と電話を入れると

「ゆっくり1泊して帰ってこい」と言われるのですが

10数泊もビジネスホテル暮らしをしていると

「もう嫌だsign03」って感じになり

早く帰りたいと

そのまま当時全線開通していなかった中国道の津山ICから乗って帰路についたのです

途中、給油と食事で2回休む以外は走りっぱなしで

会社はもう閉まっている時間ですので

我が家へ直接帰るのですが

その時間は午前2時とか3時だったことを覚えています

中国道を走っている時は

『大阪○○○km』という看板が出ていて

大阪を過ぎると

『京都○○km』になり

やがて『名古屋○○○km』という表示が出てきて

名古屋を過ぎると

確か『東京3百何km』という看板が出てくるのですが

まだまだ3百何キロもあるのに

「うわぁ~帰ってきたsign03」と嬉しくなったのを覚えています

そういえば

ラジオを聞きながら走っていたのですが

いつも静岡県あたりを走っていると日付が変わり

ラジオのDJの挨拶が

「おはようございます」になるのですよね

俺は寝てないんだから『おはよう』って言うんじゃないsign01って車の中でひとりごとを言いながら運転していましたよ~coldsweats01

それと覚えているのは

九州や山陽方面のお客さんが

月に1回やってくる20代のカー助に

「お前よくやるよなぁ」と言いながら良くしてくれたことですかね

よくお昼ご飯をご馳走になりましたし

カー助が自分の息子と同じくらいだという人には

「車の中で飲みなよ」と缶入りの飲料をいただいたりもしましたし

「気をつけて、また来月も来なよ」と暖かい言葉をかけてくれた人もいました

まぁ、今では到底出来ませんが

若かったから出来たのでしょうし

冷静に考えれば

ちょっと馬鹿で超~元気じゃないと出来ないかも?coldsweats01

ちなみに

この長~い出張は

「このままではカー助が会社を辞めちゃうか、死んじゃう」とのことで

九州営業所を作ることになるまでの2年弱続いたのですが

まぁ、1日も早く終わらせて帰りたいという感じでしたので

2年弱も毎月行きながら

どこ~も観光しなかったというか出来ませんでしたよね~

要領よくなりすぎた今なら

あっちこっち観光していたことだと思いますcoldsweats01

| | コメント (4)

2009/09/02

昔を想い出してしまう曲

先週、「週間 鉄道模型 少年時代」のコマーシャルを見て

あの昔懐かしい感じのジオラマが欲しくなった話を書きましたが

今日はCMに使われている曲で昔を懐かしく思い出した話です

何のCMかというと

mandom(マンダム)のGATSBY(ギャツビー)のコマーシャル

そう!木村拓哉さんが出ているもので

映像もなかなか面白く出来ていますが

私に昔を想い出させたのは

流されている曲でして

そもそもの原曲は30年以上前に流行った

スタイリスティックス(The Stylistics)の『愛がすべて』(I can't Give You Anything)で

それをパロって

I CAN GIVE YOU GATSBYとして流されているのですが

これがなかなか良く出来ていて

原曲を壊さず

良き時代のディスコミュージックのままなのですが

私が想い出した情景は

当時行っていたディスコではなく

大学生の時の夏休みに

高原のホテルで皿洗いのアルバイトをしていた時のことなのです

住み込みで40日間以上休み無しのアルバイトで

辛い部分もありましたが

それなりに結構楽しくもやっていた気がします

そのホテルのジュークボックス(←若い人は知らない言葉?coldsweats01)に

スタイリスティックスの『愛がすべて』が入っていて

お客さんがよくかけていた曲で

日によっては何度も何度も聴いていたのですよね~

そして

あれから30数年

テレビから流れてきた曲に

うわぁー懐かしいsign03

と思ったと同時に

当時の情景が想い出されてきたのです

そんな意味からすると

私にとってはこの曲は

夏を想い出させてくれる1曲なのかもしれませんね

昔のことを想い出して感慨にふけるようになったということは

それだけ年を取ったということでしょうが

現実問題、これから先より

過ごしてきた時間の方が長いのですから

当然と言えば当然なのかもしれませんよねcoldsweats01

ちなみに

GATSBY:CMスタジオというホームページでは

http://www.gatsby.jp/cmstudio/index.html

9パターンのCMが見れるようになっていますし

全てのCMのバックに I CAN GIVE YOU GATSBY が流れていますので

興味のある方は見て

いやいや、note聴いてみてください

| | コメント (2)

2009/07/21

日食グラス?

明日7月22日は日本で46年ぶりに観測できる皆既日食だとか

関東地方でも部分日食は見ることが出来るそうですが

サングラスや黒い下敷き等で見ることは危険だと

テレビのニュースで報道していて

日食グラスなるものが発売されているとか・・・

それが可視光線だけでなく赤外線等も遮断してくれて

目に安全だとのこと

ただし

この日食グラス、売れに売れているそうで

もうメーカーには在庫は無く

販売店にもほとんど残っていないとか

そりゃそうですよね

メーカーとしては作り過ぎてしまったら

「次の皆既日食まで待つ」なんて出来るわけもありませんからね

ところで

46年前の皆既日食の時のことを

今回の過剰なまでの報道と大騒ぎで

私はそれとなく思い出しました

当時、小学校低学年だったと思うのですが

校庭に出て

今や危険だといわれている黒い下敷きで

先生の指導の下、みんなで欠けた太陽を観察していたのです

幸い目に異常はなかったようですが

知らないとは怖いものですよね

昔のことをあまり鮮明に覚えていないことが非~常に多い

いい加減なカー助なのですが

今回の46年ぶりという皆既日食騒動で

なぜか少しだけ記憶の片隅に完全に埋没していたのだろうことを思い出した次第です

記憶とはある意味不思議なものです

普段では絶対に思い出さないだろうことが

何かの拍子に思い出されたりもするのですよね~

テレビのインタビューで

皆既日食を見て人生観が変わったなんて人も出ていましたが

私的には

そんなことで変わる人生観って安っぽくないか?と思ってしまいますし

46年前も鼻たれ小僧だったせいか

皆既日食に特別感動をした覚えもなく

今回の皆既日食も

単に太陽が隠れただけで

それって雲に隠れるのと大差ないと思うわけで

特別感動しないだろう私は

むしろ

記憶の不思議の方に感動してしまうのですよね~coldsweats01

| | コメント (2)

2009/03/27

布団で思い出した話

昨日の書き込み「布団の打ち直し」を書きながら思い出した話です

元々どこでも眠れるカー助で

「枕がかわったら眠れない」なんて人が信じられない方で

アルバイトしていた厨房で

丸イスに座りながら寝てしまったこともあれば

満員電車のつり革につかまりながら寝てしまい

ガクッとなって目がさめたこともあるぐらいでcoldsweats01

アハハ、そういえば

エッチしながら一瞬寝てしまい

下から「今、ちょっと寝たでしょう」と言われたこともありましたcoldsweats01

よ~く考えると

どこでも寝れて、寝つきがいいを超越している気もしますね

30年ほど前

大学を卒業して働き出した私の面倒をみてくれていた

1年先輩のNさんという人がいて

仕事のことを色々教えてくれたほかに

飲みにもよく連れていってくれました

週末のある日

次の日が休みであるということもあり

飲みすぎて終電を乗り過ごしてしまい

「しょうがない俺のところへ泊まれよ」とNさん

お言葉に甘えてそうすることにし

Nさんのアパートへ初めて向かいました

今にも倒れそうなNさんのアパートへ着くと

鍵を開けずにドアを開けたNさん

「いくらオンボロアパートでも無用心じゃないか?」と思いながら

Nさんに続いて部屋の中に入ると

「お帰りなさい」と女性の声

えっ!Nさんって独身のはずなのに・・・と思っていると

「俺、同棲してるんだよ。会社の人には内緒にしておいてくれよな」と私に言い

「こいつ会社の後輩のカー助で、今晩泊めてやることにしたから」と同棲相手の女性に言うNさん

「今晩は、いつもお世話になっています」とその女性に言われ

「今晩は、当然お邪魔してすみません」と挨拶した私は

「同棲しているって教えてくれていたら来なかったのに・・・」と心の中で思いましたが

もう来てしまったのだから仕方ないですよね

それからビールを出してもらって

3人で少し話をして寝ることに

といっても

Nさんのところには

オンボロアパートには不釣合いな立派なダブルベッドしか寝具はなく

私は4枚の座布団を1列に並べて寝ることに

なぜ4枚かというと

Nさんのところには座布団が4枚しかなかったからです

正確には

3枚を並べ、1枚を半分に折って枕代わりにしたのです

当然、足は畳の上

「それで大丈夫ですか?眠れます?」とNさんの同棲相手の女性が心配してくれて言えば

「それじゃぁ3人でベッドで寝るか?」と大笑いで同棲相手をからかうNさん

まぁ、7月頃で暑い日でもありましたし

かなり飲んでいたこともあり

座布団でも平気で

すぐに寝付いてしまい

目が覚めたのは次の日のお昼前近くで

暑くて、ノドが渇いて目がさめました

Nさんはまだ寝ていて

同棲相手の女性はすでに起きていて

「おはようございます。そこで寝れましたか?」と

「おはようございます。どこでも寝れるのがとりえですから・・・(笑)」

まぁ、1列に並んだ座布団からはみ出しもせず寝れるのですから

本当にとりえかもしれませんcoldsweats01

やがて起きてきたNさんは

「布団1組買っておくよ」と

「いや~、同棲しているところへもう泊まりに来ませんよ」と、この時心の中で思ったカー助でしたが

数週間後

「お前の分の布団買ったから、今晩遅くまで飲んでも大丈夫だからな」と言われ

再び泊めてもらったカー助で

その後も何度かその布団にお世話になってしまいました

ちなみに

Nさんたちは1年ほどの同棲のあと結婚しました







その数年後、Nさんの浮気が原因で離婚してしまいました

あの布団はどうなったのでしょうかね

| | コメント (0)

2009/03/11

少年のような顔をして

先週、久しぶりにY社長から電話があり

「しばらく会っていないし、話したい仕事のこともあるし、昼飯でも食べに来ない?」と言われ

昨日、町田まで行って来たのですが

やっぱり遠いわ~

まぁ、それでも昔に比べれば

圏央道が出来たおかげで

我が家からはすぐに高速に乗れるのですが

Y社長のところは

どこのインターチェンジで降りても

一般道が混んでいて、そこから1時間はかかります

なんとか11時ごろに到着し

「カー助さんは変わらないね~」と迎えてもらい

Y社長と私とKさんをまじえて仕事の話を30分ほどし

その後、雑談になり

Y社長が「MR-Sって、乗ってもう何年になる?」と聞いてきましたので

「約8年で走行距離はもう10万5千キロですよcoldsweats01」と答えると

Kさんが「大事に乗ってますよね」と言い

そこから話が車の話にのめり込んでいきました

Y社長が「俺、べレット探しているんだ」と

レクサスに乗っている社長がべレット?って感じですが

「何でまた?」と私が聞くと

若い頃、あこがれだったけど買えなくて

今なら買えるようになったということらしいです

関東のレストアショップを何軒か見て回ったというから

どうやら本気らしく

「べレット1600GTRが欲しくて探しているけど、程度のいいのが見つからない」とY社長

さらに「初期の手作りの117クーペも欲しいんだ」というY社長

そこで

私が先日行ったノスタルジック2デイズの話をすると

「そんなのがあるの!」とY社長

ついでに1月末に行ったクラッシックカー協会主催のニューイヤーミーティングの話もしてあげると

Y社長もKさんも「そんなのあるの!」「行ってみたい」「次はいつどこである?」と真剣な話に

Y社長もKさんも私より少し年上で

青春時代は車が楽しみの1つだった世代で

クラッシックカーのイベントにはどんな車があったのか?とか

ノスタルジック2デイズの方は販売している業者の展示がメインだという話をすれば

「べレット1600GTRも売ってた?」とか

「どんな車がいくらぐらいで売っていたのか?」とか

話は広がる一方です

運転免許を取って

安い中古の車を買って

アルバイトしてタイヤとホイール履き替えてって世代ですので

私が「初めて買ったアルミホイールはエンケイのデッシュでしたよ」と言えば

Kさんが笑いながら「私もエンケイのデッシュでしたよ」と

「『RSワタナベ』とかあった、あった」とホイールやタイヤの話で盛り上がり

私が「コンポはパイオニアのロンサムカーボーイつけてましたよ」と言えば

Y社長は、スピーカーの型番まで覚えているので驚きです

3人は

まるで少年のような顔で車の話というか昔の話に夢中です

気づくと1時近くになっていて

食事するために3人で

Y社長のレクサスに乗り

「昔の車に比べたら、はるかにこの車の方が乗り心地はいいですよ」と私が言えば

「便利で快適だけど、これは移動手段で夢がない。べレットに買い換えるわけじゃないから大丈夫!そっちはある意味オモチャで夢があるんだよ」とY社長

食事をしながらも車の話は続き

私がクラッシックカーのイベントを見つけたら

Y社長に連絡することになりました

貧乏だった昔の話を楽しく出来ることは幸せなことかもしれないと思ったカー助です

| | コメント (0)

2009/02/24

遠~い記憶も思い出せます

昨日の朝、9時過ぎに

携帯電話が鳴り

見るとUさんからの電話で

「おはよう」と私が出ると

「今日、暇だろう?これから行くから一緒に昼飯食べよう」と言うUさんに

「わかった。待ってる」と答えた私

昔は頻繁に会っていたUさんですが

最近は年に1度

この時期に遊びに来るUさんは

サラリーマンを辞め

植木屋さん手伝いをしている昔の仕事関係の友人です

雨が降って仕事が休みの時で

植木屋さんが暇なこの時期にやって来るUさんのことは

昨年の今頃もブログに書いた覚えがあります

気が合い、口の悪いところも合う2人

11時頃にUさんはやって来て

彼がしばらく会っていなくて

私の方が会っている共通の友人の話を「あいつどうしている?」と聞いてきて

私がそれに答えて話し

逆に

私がしばらく会っていなくて

彼が会っている人の話を

私が聞いて

「そうなんだ~」とか言いながら

昔のことなど思い出して大笑いしながら話が弾みます

どちらかが「あいつ、あいつ、え~と名前が出てこない」と言えば

「○○さんだろう」と片方が覚えていたりと

不思議に話がつながり

それと同時に

すっかり忘れていたことも思い出したりするのですよね

まぁ、思い出したからって何の得にもならない話が多いのですがcoldsweats01

彼とこうして年に1度話さなければ

記憶の片隅に完全に埋没してしまって

2度と思い出すこともない話が

それはそれで愉快なほど思い出されるのです

それだけ年月を重ねて生きてしまった証拠でもあるとも思いますし

Uさんいわく

「近い昔のことは忘れて、遠い昔のことは思い出せるのが年取った証拠だよな」だそうです

まぁ、それと

遠~い昔の若い頃は

平気で馬鹿なことも出来たし、していたから思い出して笑えるのかもしれないとも思います

そんな貴重な友人のUさんは

「近いうちに飲もう」と言って帰っていきました

飲みながらの会話だと

昨日の会話のように忘れかけていたことを思い出しながらの話は絶対に無理だと思いますが

それはそれでまた楽しくもあり

いいのかもしれません

何たって2人には

「他人の悪口」という酒の肴がありますからねhappy01

昔の友人に会って話して

少し元気が出たカー助でした

| | コメント (4)

2009/02/20

レコードは覚えていますがCDは忘れてしまいました

コネタマ参加中: 初めて自分で買ったCD(レコード)を教えて!

ココログのコネタマに

「初めて自分で買ったCD(レコード)を教えて!」というのを見つけ

思い出してみると

一番初めに手にしたレコードは

大~~昔の小学校の高学年の時に

誕生日プレゼントだったと思うのですが

親に

オモチャのようなレコードプレーヤーとソノシートレコードを買ってもらったのが

「初めて手にしたレコード」だった気がします

ソノシートなんてすでに死語で

私たちの世代には懐かしい感じですが

今の若い人は知りませんよねcoldsweats01

何のソノシートだったかというと

マンガの「巨人の星」のソノシートで

主題歌とちょっとしたストーリーが入っていました

まぁ、これは「初めて自分で買った」ではありませんので

初めて自分で買ったレコードはというと

中学生の時に

ビートルズのLP「ヘイ・ジュード」を買ったのがそれだった気がします

当時、ラジオを聞くことが流行っていて

深夜放送等をよく聞いていました

そこから洋楽を聴くようになり

買ったレコードです

中学生の時はお金も無く

お年玉とかもらうと洋楽のレコードを買っていたのを思い出します

まぁ、それでも中学生の時は

お金もそれほど持っていませんでしたから

どのレコードを買うか悩みに悩んで買っていた気がしますので

そう多くのレコードを買えたわけではありません

高校生になり

フォークソングブームに影響され

よしだたくろうや井上陽水やかくや姫のレコードを買い

毎日毎日

まさしく「擦り切れるほど」レコードを聴いていたものですcoldsweats01

その後も色々なレコードを買って

たくさん持っていたレコード盤でしたが

いつの間にかCDが主流となり

レコードプレイヤーのあるステレオが壊れて処分した時に

レコード盤も処分してしまったような気がします

時代はレコードからCDにかわっていったわけで

当然、私にも初めて買ったCDがあるはずなのですが

それが何だったのか思い出せないのですよね

40年ぐらいも前のソノシートのことや

35年ほど前のレコードのことは覚えているのに

それより後の「初めて買ったCD」が何だったのか思い出せないのは

初めて買ってもらったソノシートや

自分で初めて買ったレコードほど感動がなかったということでしょうかね

初めてのCDを買った時には

すでに働いていて

気軽に買えたから覚えていないのかもしれませんね

そう考えると

お金が自由に使えない方が

買った(買ってもらった)感動は大きく

忘れないのかもしれませんね

好きなものを気軽に買えることと

夢の大きさや大切さなどは反比例するのかもしれないと思ったりもしてしまいます

クリックもお願いしますhappy01

     ↓

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2009/02/05

すかいらーくが閉店

事務所の近くにあるすかいらーく

今日で閉店となるそうです

少し前にニュースでこの話は耳にしていたのですが

外食産業も嵐の時代のようで

低価格戦略のガストに変わるとのこと

すかいらーくのお皿には「SINCE 1970 」と書いてありましたから

40年弱前にすかいらーくは誕生していたのですね

このお店

30年以上前にでき

当時、運転免許取り立ての私は

オープンしたてのこのお店をよく利用したものです

駐車場があり

気兼ねなくいられるお店って感じで

友達と来たり

彼女と来たり

夜遅くまでいて

色々なことを話していたのだと思います

当時は、まだまだ外食すること自体がそれほど多くなく

ファミレスという言葉さえ浸透していなかった気がします

時代は大きく変わり

食生活も大きく変わりましたので

自由に色々な物が食べられるようになり

それとともに

口がこえたてしまったようで

大概のものでは

テレビのグルメレポーターのように

「おいしい!」と思うことも少なくなってきているような気がします

そんなわけで

昨日、最後のすかいらーくへ行って来ました

もちろん、食べたのは

昔懐かしい

目玉焼きののったハンバーグ

002

記憶が確かではありませんが

当時、よく食べていたのも

フライドポテトがついて、こんな感じだったような気がします

今では何のヘンテツもないハンバーグですが

おじさんである私には

昔懐かしい味がしたような気がしたのは

食べながら

昔のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡ったからでしょうか・・・

| | コメント (2)

2008/12/08

あたり前田のクラッカー

土曜日、天気予報ほど寒くもなく

風もそれほど強くなく

車に乗っていると暖かくも感じ

川越までドライブに行きました

途中、オープンで走っている車を数台見かけましたが

私にはそこまでの根性はありませんcoldsweats01

川越の菓子屋横丁も

この時期になるとそれほど混んでもいません

ふらふら歩いていると

目に留まったのが

Photo

私と同年代の方なら

白黒テレビで遠~い昔に

「あたり前田のクラッカー」というコマーシャルを見たことがあるのではないでしょうか

なんとも懐かしいというか

「まだ、売ってたんだぁ」という思いで

買ってしまいました

200円です

当時はいくらだったのか覚えがありませんが

昔の生活事情からすると

クラッカーは、ある意味贅沢なおやつであったと思います

適度な塩味はなんとも懐かしく

時々買ってくれたばあちゃんのことが思い出されました

自分がじいちゃんになって

遠~い昔のばあちゃんのことを思い出すと

ばあちゃんの孫への思いが少しわかったりして・・・happy01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/12/01

クラッシックカーフェスタ in 神宮外苑

トヨタ博物館主催のイベント

「クラッシックカーフェスタ in 神宮外苑」が29日(土)30日(日)に行われていましたので

昨日、行って来ました

場所は、その名の通り神宮外苑の絵画館前です

002_2

私は電車で行き

信濃町駅から歩いて行ったのですが

会場前の道路は駐車場へ入れない車でかなり渋滞してましたので

電車で行ったのは正解だったようです

昨日は天気も良く大勢の人が来場されていました

催しが催しだけに

やはり、年配者が多い感じですが

男性だけでなく女性も多く

若い人たちもいましたし

キッズ向けには、こんなミニカーに乗れるサービスもしていました

003

展示されていたのは

トヨタ博物館から持ってきた数台のクラッシックカーと

一般から参加の100台ほどで

土曜日にはパレードもあったようです

私的に懐かしいのは

やはり、日本車です

今から見ると「センスないかも」と思うオーバーフェンダーのついたフェアレディZ

004

づんぐりしているべレットも当時はかっこいいと思ってました

005

私が働きだして初めて新車で買ったセリカXXもありました

008

彼女と色々なところへドライブに行ったことが思い出され涙が出そうですcoldsweats01

後ろはリフトバックで

私は大きなスピーカーを置いていたことを思い出したりして・・・

040

そのセリカXXの前に中古で乗っていた車もありましたよ!!!

カリーナ1600GT

016

確か千葉真一がコマーシャルしてましたよね

017

ホイールをエンケイのディッシュにして

太いタイヤ履かせていたのを思い出しました

他にもスカイラインは

エンジンルームまで綺麗なハコスカに

011

ケンメリ

015

トヨタ2000GTもあれば

013

ギャランGTOに

010

まだまだたくさん

みんなナンバーがついて、しかもきれいで

オーナーの方々が大事に乗っているのだろうことがうかがえます

018

020

021

022

023

トヨタ博物館から持ってこられたロールスロイスも

脇にはちょっとクラシカルな衣装のお姉さんがいて展示してありました

024

昔々、アメリカのテレビドラマの中で見た

デッカ~イ車も

030

この頃のアメ車って

後ろは羽根が生えているようでしたよね

031

コルベットのオープンカーは

思わず「こんなの欲しいな~」と私は心の中で思ってしまいましたhappy01

032

室内もド派手!

033

いかにも古き良きアメリカって感じがしますよね

どれもナンバープレートがついているところが凄いですよね

そして

そのナンバープレートも

とんでもなく古いのが多く

一代オーナー車が多いようです

そんなナンバープレートを見ていると

とてつもなく古いものも

038

こんな陸運事務所の地域名のないものもあるのですね

それと

製造年をナンバーにしたものも

037

1948年製ということは60年前ですよね

まだまだ紹介しきれないほど懐かしい車や

私が生まれる前の車もあり

懐かしくもあり、楽しくもある1日を過ごすことができました

| | コメント (8)

2008/08/19

ラストレース

昨日、オリンピックの陸上トラック競技が面白いと書きましたが

そこにはもう一つの理由があります

それは

私自身が高校時代

陸上部で短距離をやっていたからということもあるのです

高校に入学し

野球部が硬式ではなく軟式しかなかったこともあり

小学校の時からもらったことのある賞状は運動会だけでしたしcoldsweats01

結果がタイムで出る陸上部に入った私

多少暗くなっても走るのにそれほどの支障はないと遅くまで練習をしていました

顧問の先生の

「近代短距離は上体の力でひっぱって走らなければ勝てない」との指導で

雨の日はバーベル等を使って筋力トレーニング

おかげで今でも上半身ガッチリですが・・・coldsweats01

厳しい練習に

10数人いた同級生は

3年生になった時私を含めて5人(男4人、女1人)になっていました

2年生の時の担任の先生は柔道部の顧問で

「カー助!毎日それだけ足腰鍛えているんだから柔道部に入れ。すぐに有段者になれるぞ」としつこいぐらい誘ってきます

「汗臭い男同士が抱き合う柔道は嫌ですよ(笑)」と断れば

「女を押さえ込む練習だと思えば出来るだろ(笑)」とわけのわからないことを言ってました

3年生になり

最後の大会も

100m、200mとも私は準決勝で敗退

最後に残ったのは4×100mリレー

反応が良く物怖じしない私は2年生の時から第1走でした

予選、準決勝を勝ち残り

決勝をむかえ

6位以内の入れば関東大会へ行けます

「負ければこれでおしまい」と思うとやはり若干緊張していたのを覚えています

位置について  よーい  パァーン

あっという間の100m

気づくと走り終わり第2走者にバトンを渡していました

レーン上でレースを見つめる私

第2走者から第3走者にバトンが渡り

メンバーの4人の中で1人2年生でちょっと力が落ちる第3走者が

なぜか今日はいい走りをしています

まもなくアンカーへバトンタッチ

4位ですが

3位とほとんど差がなく

5位以下はかなり離れています

「やった!関東大会へ行ける」

アンカーは100mで決勝に残った奴でしたから

6位以内どころか

1人抜いて3位で関東大会間違いなしと思った瞬間

第3走者からアンカーへのバトンタッチでバトンを落としたのが見え

これがラストレースとなってしまいました

もちろん、誰も好き好んでバトンを落とすわけではありませんが

最後の大会でのミスに言葉も出ず

帰りの電車の中はお通夜のようだったのを覚えています

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/08/12

遊び=野球だった少年時代

私が少年だった時代には

今のように色々な遊びはなく

小学校に入った頃から「遊び=野球」といってもいいほど毎日のように野球をしていたのを覚えています

白黒テレビで野球中継を見ている父親と一緒に見ているうちに好きになったのか

どこからそうなったのかは私自身わかりませんが

野球大好きだったのは間違いありません

昔はセーターは母親が編みなおすもので

そのほぐした毛糸を丸めたものでの父親とのキャッチボールから野球好きがはじまったのかもしれません

それが、軟式テニスボールと角材での三角ベースになり

小学4年生ごろ初めて買ってもらったグローブがうれしくて

暇さえあればワックスをかけていた記憶があり

バットを買ってもらえばうれしくて素振りをしていました

学校から帰るとカバンを放り投げ

近所の友達と野球をしていました

なにが嫌だったかって

雨です

雨が降ると野球が出来ません

それと、メンバーが集まらないと野球は出来ません

2人じゃキャッチボールしか出来ませんし

3人でも4人でも野球は出来ず

最低でも10人程度いないと楽しく遊べないのです

ある意味、野球をしたければメンバー集めからやらなければならず

今のようにゲームなどで1人で遊ぶなんて考えられなかった時代

人との付き合い方を自然に学んだのかもしれないと思います

中には野球があまり好きじゃない子もいましたし

当然、運動オンチの子もいました

そんな子たちをいかに巻き込んで集めるかが必要だったわけです

近所の同級生だけでは野球が出来る人数に足らず

年上の子から年下の子もみんなで遊んでいたのです

このことは人付き合いの仕方を自然に教えてくれていたように思います

子供に大事なことは「遊びながら学ぶ」ということではないでしょうか?

みんなで広場や空き地でゲームをしながら遊ぶことが少なくなった今の子はかわいそうなのかもしれません

ゲームにはルールがあり

みんなで遊ぶことにもルールや思いやりが必要になってきます

そこには学校で教えてくれない大事なものがあったような気がするのですが・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/11

暑い日の少年野球

それは今から39年も前の

私が小学6年生の時

夏休みに入ると毎日朝6時ごろから少年野球をやっていました

毎朝5時半頃に家を出て

汗まみれ、泥だらけになりながらの練習

当時のスポーツの合言葉は「根性」で

今のように決して科学的ではなく

練習中に水を飲むことなどとんでもなく

今から考えると

よくも誰も倒れないで真夏にやっていたものだと思います

私の所属していたチームは

前年も市の大会で優勝しており

その年も優勝確実と思われていました

6年生の私は4番センター

練習試合は50試合ほどして

負けたのは2回だけ

その2回とも私は家庭の事情で欠席しており

1度も負けを経験したことがありませんでした

それでも練習試合で1度だけ負けそうになったことが・・・

初めて対戦した左投げの投手の時

経験の少ない小学生にとって

初めての左投手の大きなカーブを打ちあぐみ

最終回をむかえた時に4対3で負けていました

この回の先頭打者だった私は2ベースヒットで出塁

2塁上で「まだノーアウトで、俺がかえれば同点だ」と思っていると

5番打者がホームランを打ってくれサヨナラ勝ちすることができました

強打の我がチームは自信満々だったのだと思います

本番の大会がはじまり

1回戦の1回裏の攻撃

4番の私に打順が回ってきた時には

1点先制してノーアウトで1、3塁にランナーがいて

私の左中間2塁打でランナー2人がかえって3対0

その後も猛攻が続いて

5回コールドの40対0で勝ちました

私に何回打順が回ってきたのかわかりませんが

全打席出塁したことだけは覚えています

しかし、この勝ち方は小学生にとっていいものではなかったのでしょう

2回戦、初めて見るサイドスローのピッチャーと

みんなの大振りで

最終回をむかえた時、5対3で負けていました

この回の先頭打者の私はフォアボールで出塁

次の打者の三振の間に2塁へ

その次の打者のボテボテのセカンドゴロの間に3塁へ

「俺がかえっても1点とどかない」と3累ベース上で思っていても

どうしようもなく

真夏の陽射しがやけに暑かったのだけをなぜかよく覚えています

結局、最後の打者も三振で試合終了でした

小学生のカー助君には

はじめての敗戦がショックだったのでしょう

その後の記憶はありません

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/03/25

ちょっとその気になってます

大学時代に一番仲の良かった友人のK君から久しぶりに電話があり

お互いの近況など話した後

昔の話になりました

「カー助と一緒に革ジャンにリーゼントでツッパってたあいつ・・・顔は思い浮かぶんだけど名前が出てこない・・・」とK君

「ヒロだろう~」と私が言うと

「そうそう!ヒロだ。まだリーゼントしてるのかなぁ」と言う

「そんなわけないだろうよ(笑)」と私

さらにK君「カー助とは卒業後も何度も会っているから変化がわかるけど、ヒロとは卒業以来1度も会ってないから俺の中のヒロはあの時のままのイメージなんだよな~」という

確かに大学を出て30年ほど経っているものの

その後1度も会っていなければ

『あの時のまま』の顔が思い浮かぶのも仕方がないことかも知れないとも思う

「お前だって俺だって、年とっておじさんになっているのだから、当然ヒロもどこかでおじさんしてるだろうよ」と私が言うと

「ヒロがハゲあがってたりしたら、会ってもわからないだろうな」と笑いながら言うK君

続けてK君が言った

「カー助は奥さんが亡くなった時に『子育てが終わったら、もう1度グレちゃおうかな』と言ってたのだからもう1度リーゼントにしてみたらいいんじゃないか?」と

さらに

「ハゲたら出来ないから最後のチャンスかもよ」と笑いながら言った

なに馬鹿言ってるんだと思いながらも

髪の毛に手がいく

ここのところ、夏は短くしていたヘアースタイルも

寒いので少々長めになっています

最後のチャンス?

私の髪の毛は少々細めなので

軽くパーマをかけて

MG5のチックで固めてリーゼントにしていた

ヒロは柳屋のポマードでリーゼント

MG5は確か資生堂の男性化粧品のブランドで

草刈正雄がコマーシャルをしていたような記憶がある

「今でもMG5のチックって売っているのだろうか?」と思いネットで調べてみると

MG5は業務用ブランドとして今でも存在しているようですが

残念ながらチックは、もう作られていないようです

柳屋のポマードは今でも売られていました

まぁ、ポマードはリーゼント以外にもおじさんの愛用者がいるということだと思います

なんとなくあの香りが思い浮かびます

ポマードの香りを「おじさんのニオイ」と思う人が多いかと思いますが

私にとっては「青春のニオイ」の1つなのです

チックは、昔、おばあさんで使っている人がいましたが

最近のおばあさんでそんな頭している人を見なくなりましたから売れなくなってしまったのでしょうね

今ではツンツンに立てることの出来るムース等色々な整髪剤が売られていますからポマードやチックを使わなくてもそれなりのリーゼントは出来るのかもしれませんが

やはり私にとってはリーゼントはあのベタベタ感がないとな~とも思います

K君の冗談半分の一言ですが

ちょっとだけその気になりかけている私がいますhappy01

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/03/04

ナンパ

昨日の書き込みへのCUOREさんからのコメントの「ナンパ」で思い出した話です

なんか最近、このパターンが多いですが・・・(笑)

大学の1年先輩にYさんという人がいて

私は可愛がってもらったというか

よく連れまわされ、つき合わされたのですが

この人が「ナンパの天才」というか

普通の声のかけ方とちょっと変わっていたのです

街を歩いていて

可愛い子を見かけると

「○○じゃないか!久しぶり」と声をかけます

相手がキョトンとしているうちに

マシンガンのように話を続けます

「今、何しているの?」とか「今日は何でここにいる?」のとか

質問攻めなのですが

相手の答えを待たず

次から次へと話し続けるYさん

普通、相手が「ナンパ」だと思うと

断られるか、無視されることが多いのですが

この場合、相手は「この人、人違いしている」と思うらしく

「私、○○さんじゃありません」とか「人違いしてませんか?」と言い

少なくとも無視されることはありません

そのうちYさんは

「ここじゃなんだからお茶でも飲みながら話そう」と

その子の手をとり近くの喫茶店等に向かって歩き出すのです

たいがいの子は

「本当に私○○さんじゃありませんから」

「あなた人違いしてますよ」と

なんとか誤解を解こうとしながらもYさんに引かれてついて来るのです

席についてから

しばらく人違いしているままの話をしたあと

Yさんは「ほんと~に○○じゃないの?」と念を押し

「ごめんなさい。可愛いところが○○にそっくりだから間違えてしまったみたいだ」と言い

「おわびにコーヒーでもご馳走するよ」と言うのです

この流れが素早いというか

息もつかせぬというか

なんとも見事!

席についた子も「ナンパされた」とは思わないようで

むしろ「誤解が解けて良かった」と安心するのか

飲み物を頼んで話がはじまるというパターンが多かったのです

もちろん、その後の会話も楽しくなければダメですがね

そんなナンパも回を重ねると

恐ろしい偶然が生まれます

ある時、同じように「○○じゃないか!久しぶり」と見知らぬ2人連れの女の子に声をかけたYさん

いつもは「私、○○さんじゃありません」と否定する言葉が返ってくるのですが

「・・・・・」黙ってYさんを見つめる女の子

「俺だよ、俺!忘れちゃったのかよ」というYさん

いつものように続けざまに

「こんなところで何してるんだよ?」と矢継ぎ早に続けるYさん

するとその子が「ごめんなさい。どなたでした?思い出せないの」と言った

脇にいた私は「思い出すも何も初めて会ったのだから、そりゃあ無理だろう」と心の中で思った

結局、いつものように近くのお店に入り話の続きをすると

なんと、この子の苗字が本当に○○さんだった

それで彼女は本当に知り合いかと思い

真剣に「この人誰だったかな?」と思い出そうとしてたらしい

なんとも笑える偶然とはあるものだと思った瞬間です

まぁ、そんなことには動じないYさんは

「同じ名前の人違いだったみたいだね」と軽く流し

「これも何かの縁かもしれない」などと当然調子のいいことを言っていました

また、別の日の偶然は

いつもと同じようにYさんが2人連れの女の子の片方に

「○○じゃないか!久しぶり」と声をかけると

その女の子が

私の方を見て「カー助さんですよね」と私の本名を言った

「うん?」と思う私

「この子誰だ?」といつもと逆に私が思い出す方に立場が変わった

でも、誰だか思い出せないでいると

「なんだ、カー助に知り合いかよ。まぁいいやお茶でも飲みながら話そうよ」とお気軽なYさん

結局、4人で喫茶店に入るも

その子が誰なのか思い出せない私

思い出せないことがこんなにモヤモヤするものなのだとその時知った私

その後、話してみると

私が思い出せなくて当然で

その子は高校の時の後輩の子で

私とは1度も話をしたことがなく

私の顔と名前だけ覚えていただけだったのでした

「世の中狭い」という言葉がありますが

まさに、それを実感した体験です

そんなYさんも数ヵ月後

スーツに身をまとい就職活動をするようになり

そんなことをしている暇もなくなり

私も連れまわされることから開放されたのでしたhappy01

| | コメント (2)

2008/03/03

ず~っと寝てたことも

今日も30年ほど前の大学生だった頃の話です

徹夜で麻雀をして朝帰ると

家族が朝食をとっていました

私もそこへまざり、半分ほど食べたところで家の電話が鳴り

母親が出て、私に向かい「お前にだよ」と受話器を渡され

電話に出てみると高校の時の1年後輩のF君からでした

「今から行きますから」と朝から元気なF君

「・・・・・・」なんのこっちゃと思う半分寝ぼけた私

「あれぇ、忘れちゃったのですか?今日、スケートに行くって約束したじゃないですか」と言うF君

確かに、そんな約束をした覚えがあるが

それが今日だったのかと思っていると

「まぁ、いいや。家にいるのだから今から迎えに行きますから」と言うF君

「15分ぐらいで行きますから」と言ってF君からの電話は切れ

F君と女の子2人が乗った車が迎えに来て

富士急ハイランドへ向けて出発することに

車の中では

「忘れてたんでしょ~」とか「いい加減だな~」とか責められ

「忘れてたのによく起きてましたね」と言われ

「さっき徹夜麻雀から帰って来たんだよ!だから着くまで寝かせてくれよ」と私は言った

寝不足と朝食をとりお腹が一杯になって

暖かな車内は私の睡魔を呼び

すぐに爆睡

途中、突然目が覚めた私の口から出た言葉は

「トイレ」

1つ年下の3人から「子供じゃないんだから・・・」「寝てて起きたらトイレ?」とか、散々馬鹿にされるも

生理現象だけはどうしようもなく

パーキングエリアに寄ってもらい

トイレを済ませるとまた寝てしまった私

次に気づくと富士急ハイランドの駐車場だった

「おぉ、寝てると早く着くものだ」と思ったが

これを言うとまた顰蹙をかいそうなので黙っていた

スケート靴を借りて

早速、アイススケートをすることに

私はこの日、生まれて初めてアイススケートをしたのですが

転ぶこともなく、なんとか滑れました

理由は

子供の頃、「ローラーゲーム」というのがテレビで流行り

近所のつぶれた工場跡で毎日ローラースケートをしていたからでしょうか?

確かローラーゲームは2度ブームになったような気がします

私が影響されたのは初期の方で

ロサンゼルスサンダーバード(?)とかのアメリカの放送がテレビ放映されていたのを覚えています

それから少しして、東京ボンバーズとかが出来たのではないかと記憶しています

当時、私たちが履いていたローラースケートは

今のものとは違い

タイヤ(?)は鉄で出来ていて4つ付いており

とにかく滑るとうるさい音がするものだったことを覚えています

その後、ローラースケート靴は進化し

タイヤはゴムになり

アイススケート靴の刃のようにタイヤが並ぶようになったのだと思います

毎日毎日ローラースケートをやっていましたので

鉄のタイヤの外側の鉄がボロボロになってしまい

親に頼んでタイヤだけ交換してもらった記憶があります

そんなことをしていたおかげで

アイススケートも最初から無難に滑れたのではないかと思うのです

話は戻りますが

寒い中、アイススケートをしたり

若いとは恐ろしいことで、寒風吹きすさぶ中ジェットコースターに乗ったりと散々遊んで帰ることとなり

F君が「帰りは運転してくださいよ~」と言ったのですが

「いや、睡眠不足の俺が運転すると居眠り運転しそうで危ないから、お前が運転して帰った方がいいよ」と言い

帰りも後部座席で爆睡してしまいました

なんたって、アイススケートや真冬の屋外で遊んで冷えた体だったのが

走り出して暖かくなった車内にいれば

眠くなるのは当然でしょう

途中、目が覚めると

女の子2人も熟睡していて

F君だけが黙々と運転しており

あまりにもかわいそうなので

途中のパーキングから運転を交代してあげることにしました

後部座席に乗ったF君もすぐに寝てしまい

車内は静かそのもの

1人で黙々と運転しているのは暇なので

意地悪な私は時々強めにブレーキを踏み

誰かが目を覚まして「どうした?」と聞かれると

「猫が飛び出てきたから」と言い

またしばらくしてブレーキを強く踏み

起きてしまった誰かが「どうしました?」と聞けば

「ばあさんが自転車で飛び出してきたからさー」と

話し相手を自ら作りながら帰って来たのでした

今、考えると

この頃から私はSっ気が強かった?coldsweats01

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008/02/29

その日も大渋滞でした

10日ほど前に「昔は遠かった軽井沢」という書き込みをした時の最後に

「別の渋滞の話を思い出しました」と書いたままになっていて

知り合いの女性おばさんから

(そうそう、 ↑ この書き方も「やめろ!」ってクレームが来てましたcoldsweats01 )

「こら!なんでその話書かないんだ!!」とお叱りというか

脅迫メールが来てまして

「どうせ、もう時効なんだから正直に書きなさい」とお説教(?)も

そんな訳で正直に(?)書きます

それは軽井沢へ行った数年前の話

当時、大学生だった私は短大生の彼女とお付き合いをしていました

彼女の「富士五湖に行ってみたい」というリクエストで

ドライブに行くことになりました

その頃、圏央道などもちろんなく

彼女を迎えにいって混んでいる国道16号をノロノロ走って

中央道の八王子ICへ向けて車を走らせたのですが

その日は、ゴールデンウィークで

しかも初夏を思わせるような非常にいい天気で

まさにお出かけ日和

当然、ある程度の渋滞は予想していましたが

その渋滞は思った以上に凄く

2時間ほどかけて国道16号を走ってのった中央道の下りは

歩きより遅いんじゃないか?というペースでしか進みませんでした

しかし、渋滞ではどうしようもないので我慢しながらノロノロ運転をしていると

12時に

彼女が「お弁当作ってきたから食べる?」と言うので

車内で食べながら運転をすることに

それが出来るほど渋滞だったということです

彼女がバックから出して

広げたお弁当は

なんとも豪華!

「作ったのお前じゃないだろう?お母さんに作ってもらったのか!」と心の中で思った私

その一瞬の無言の時間で

彼女は「わかっちゃった?」と思ったのか

笑いながら「お母さんに手伝ってもらったんだぁ」と言い

「逆だろう、どうみても、お前がちょっと手伝ったが正解じゃないの?」と私

「そうとも言うかもしれない」と彼女

この場合、大渋滞という不幸の中で

おいしくないお弁当を食べされられなくて良かったと考えるべきなのだろうか?

彼女のお母さんのお弁当をおいしくいただき終わっても

大渋滞は一向に解消しない

カーステレオの矢沢永吉の曲はノリノリなのに車は進まない

結局

富士五湖はあきらめ

「次の機会に、平日にでも行こう」ということになり

まぁ、同じ湖ということで

手前の相模湖ICで降りてみることになったのですが

相模湖は「観光地」という感じではなく

うちの近くにもある池の大きいやつという感じで

特に見るべきものもない感じで

あるのはラブホばかり

そんなに目に付くと入りたくなる年頃でしたので

当然!利用させていただき

帰ってきたのですが

何しに行ったのかわからないほど昔の渋滞は凄かったのですよね

ちなみに

残念ながら、その彼女と「次の機会に」富士五湖へ行くことはありませんでした

| | コメント (4)

2008/02/27

キープボトル

昨日の記事の「キープボトル」で思い出した話です

それは、会社の先輩Sさんの話

お酒大好きで、飲みだすと止まらないSさん

飲んで唄って騒いでみんなに迷惑をかけることが日常茶飯事だったSさん

私より10才ほど年上で

まさしく「団塊の世代」のSさん

なぜか私のことをとても可愛がってくれたSさん

ある日、仕事で2人で出張に行った時

仕事を終えビジネスホテルへチェックインして

当然のように盛り場へSさんに連れて行かれ

まずは居酒屋で飲んで食べて

店を出たのですが

そのままホテルへ戻るような人じゃないSさん

「カー助、カラオケでもやろうぜ」とスナックのドアを開けた

席につくとお姉さんが「初めてですよね。何飲みますか?」と

それに対しSさんは

「2回目だよ!この間ちょこっと来てボトル入れたから、それを飲むよ」と言い放った

「ごめんなさい。お名前は?」とお姉さん

「佐藤だよ」とSさん

もちろん、Sさんの名前は佐藤ではない!

しかし、しばらくすると

「サトウ」と書かれたオールドのボトルが出てきた

確かに「サトウ」という名前はたくさんいるだろうが

初めて入ったお店で「サトウだ」と言い

ボトルがあるはずという方もどうかと思うが

簡単に「サトウ」さんのボトルを出してくる方も出してくる方だと思っていると

そのボトルを手に取ったSさんが言った

「この間は15分ぐらいしかいなかったのだから、もっと中身が残っているはずだ」と言うSさん

見ず知らずのボトルが出てきただけでもありがたいと思うのだが

更に「これじゃない」と言い張るSさんには

嘘もここまでつければ大したものだと言うしかない

更に笑えるのは

数分後、さっきのボトルより中身の多い「佐藤」というボトルが出てきたことだろうか

その後2時間ほど飲んで唄って騒いで

ボトルが空になって帰ってきた

この場合、私はSさんに「ご馳走様」とお礼を言えばいいのか

それとも

どこの誰だかわからないボトルの持ち主の「佐藤」さんにお礼を言えばいいのだろうか?

また、別のある日

会社の近くのスナックへSさんと行ったのだが

ママに「何を飲む?」と聞かれたSさんは

「T(同じく会社の先輩)のボトルがあるだろう。それ飲んでいいってTが言ってたから」と言い

Tさんのボトルを飲みだした

当然だが、Tさんにそのボトルを飲んでいいなどとの許可は得ていない

結局、その日もTさんのボトルを飲み干してしまい

帰り際、さっきまでSさんの隣に座っていたお姉さんの飲みかけの烏龍茶をそのボトルに入れて帰ってきた

店を出て「今度、Tが行って、あのボトル飲んだら驚くだろうな」と大笑いするSさん

ところが、話はそうはいかなかった

2週間ほどして

Sさんに連れられ同じお店に行き

またまた「Tのボトル」とSさんが言い

お姉さんが作った水割りを一口飲んだ瞬間

「Tさんは、あの後来てないんだ~」と私は思ったのだが

Sさんは「ママ、これ飲んでみろ」と、その水割りを差し出した

一口飲んだママは「何これ?」と驚いた様子

「烏龍茶の水割りだよ!」と、真相を知っている私は心の中で思ったのだが

ママに口から出た言葉は

「誰かのいたずらかしら、新しいボトルあげるから、Sさん許して」と

酔っ払い相手の商売に慣れているというか

なんともいい加減と言えばいい加減な決着だ

結局この日もタダでいただいたニューボトルを飲んで唄って騒いだのですが

Sさんの凄さに感動したのは帰り際だ

元々、Tさんのボトルだったのに

本来もらえるはずもないのにもらえたニューボトルに

しっかり自分の名前を書いているSさん

あなたには「人生はたくましく生きなければならない」と仕事以外で教えていただいた気がします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/26

久しぶりに飲んでみようかと・・・

少し前からテレビで流れているサントリーオールドのコマーシャル

テレビのコマーシャルを見て影響されて「買おうかな~」と、あまり思わない方の私ですが

このコマーシャルはなぜか私の心をくすぐります

たぶん、それは新しいものではなく

昔懐かしさなのではないかと思うのです

この「ザ・サントリーオールド」のCMはシリーズ物になっていて

今、流されているものは「父の誕生日」篇とのことです

娘に「誕生日に何か欲しいものはない?」と携帯で聞かれ

「特にない」と答えた電話は切れ

「昔は可愛かったのに」と思っているところへ

「娘さんからお届け物です」と言いながら娘がサントリーオールドを持ってやってくるというもので

バックに流れている曲は

昔のコマーシャルで使われていたものと同じというのが

これまた昔を思い出させてくれる感じがして私的には「最高!」です

ちなみに

サントリーのブログを見てみると

この曲は「夜が来る ~人間みな兄弟~」というものだということがわかりました

さらに楽譜までダウンロードできるようになっていました

今ではスナック等のキープボトルは焼酎が主流になってしまいましたが

私が若かった遠~い昔はキープボトルといえばウィスキーが主流でした

それも、ほとんどのお店がサントリーオールドで

お店にはマジックが用意されていて

オールドのラベルの部分に黒いマジックで名前や絵を書いたり

ボトルの黒ガラスの部分には銀色のマジックでいたずら書きなどしたのを何とも懐かしく思い出してしまいます

最初、8トラだったカラオケがレーザーディスクになった時は「凄いな~」と思ったし

飲んで騒いで歌ったテーブルにはオールドがありました

青春時代に飲んだサントリーオールドですが

オールドのビンには

ウィスキーとともに思い出がたくさん詰まっているような気がして

「久しぶりに飲んでみようかな・・・」と

コマーシャルを見ながら思ってしまいました

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/02/20

昔は遠かった軽井沢

昨日のブログへのチエちゃんのコメントで思い出した話です

今は、高速道路が出来たおかげで

我が家から軽井沢までは1時間ほどで行けるようになりましたので

近くなった感じがします

もちろん、我が家と軽井沢の距離が縮まったわけではありませんが(笑)

それは、25年ほど前の話

まだ、高速道路はなく

確か朝早く彼女の家へ迎えに行き

国道254号から国道18号へ入り

釜飯で有名な「おぎの家」の前を通って

碓氷峠を越えて軽井沢へ遊びに行ったのだと思います

行きの所要時間がどれほどかかったかは覚えていませんが

相当な時間だったと思います

ボートに乗ったり、旧軽井沢を散歩したりして

夕方前に帰路についたのですが

軽井沢が一番混む夏の週末の夕方ですから

帰りの道路は大渋滞

確か、碓氷バイパスの途中から渋滞にまき込まれ

藤岡辺りでは停まっている時間の方が長く

「イライラしながら渋滞にまき込まれていても仕方がないから夕飯食べちゃおう」ということになり

途中のレストランに寄り

食事をし

当時、携帯電話などという便利なものが無かったので

レストランの公衆電話から、彼女は「遅くなるから」と家へ電話をいれ

再度、道路に戻ったのですが

渋滞は一向に解消されず

ノロノロ運転しながら、やっと埼玉県に入り

少しずつ流れるようになり

彼女の家の近くまで来て

時計を見ると、23時50分ぐらいでした

「何とか今日中に帰れるね」と笑った瞬間

前方で赤く光る警棒が振られていた

それは、飲酒検問らしく

停まって窓を開けた私に

警察官が「免許証を拝見したいのですが」と言い

私が無言で免許証を差し出すと

「どちらまで行かれるのですか?」と問いかけてきた

今と違い、当時の飲酒検問はいきなり器具を突き出し

「ハァーと息を吐いてください」ではなく

しゃべらせてニオイを嗅ぐというやり方だったのです

私が助手席を見ながら「彼女の家まで行きます」と言うと

「こんな時間にですか?」と警察官

さらに「彼女の家はどちらですか?」と

そもそも、この検問は飲酒検問じゃにのか?大きなお世話だろうと思う私

なにも好きでこの時間にここを走っているわけでもなく

それともなんでこの時間になったか今日1日の行動を話さないとダメなのか?と思っていると

警察官が助手席の彼女に向かい

「時間も遅いですから気をつけてください」と言った

それって、私といたら危ないということか?

それに対し彼女は

「私の家はすぐそこで、あなた達が停めなければ12時前に帰れたのに、つまらない話をしているから家に帰り着くのが明日になっちゃうじゃない!お母さんに怒られたら、そこでおまわりさんにしつこくされたからって言うから・・・」と

この一言のおかげか、やっと開放され

途中、夕食に1時間ほど費やしたが

6時間ほどかけて帰ってきた覚えがあります

遊んでいた時間より往復の車の中の方が長いという行楽

まぁ、若い時はそれはそれでまた楽しかったのですがね

あっ!別の渋滞の話も思い出した~ぞ!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/02/12

血液型の不思議

先日の「神にも願う気持ち?」の書き込みの

とんちゃんのコメントに「AB型?」とあり

思い出した話です

私は占いとか風水とかスピリチュアルとかをまったく信じません

A、B、AB、Oの4つしかないパターンに区別されるわけが無いと思っていますし

星座占いも生まれた日にちで、その間に生まれた人がみんな同じというのもどうかな~と思っていて

朝、テレビでやっている星座占い等もまったく見ませんし

ですから星座占いの星座がいくつあるのかさえも知りません

ただし、お付き合いした女性に誕生日を聞かれて

「4月14日」と答えると

「おひつじ座だね」と言われたことが何度もあり

自分がおひつじ座らしいということは知っています

そういえば

血液型占いを信じているのは日本人だけだという話を聞いたことがあります

宗教心の薄い日本人が占いには意外と熱心だというのもなんか笑える気がしたりします

ところで

そんな私が偶然の一致(?)かなと思うことがあります

それは

今までお付き合いした女性のほとんどがO型だということ

もちろん、最初に血液型を聞いてからお付き合いするわけでもなく

「この人いいな~」と思い

お付き合いをして、後になって血液型がわかるとO型だったということです

日本人の一番多い血液型はA型だそうですから

確率論からいえばA型の人とお付き合いする率が高くなるわけですが

10人中9人はO型

もちろん、私は「偶然」だと思っていますが

血液型で性格や相性があると信じている人からすれば

「偶然ではない」ということになるのでしょう

宗教や占いを信じるか信じないかは個々の自由だと思います

それは、誰かに強要されることでもないと思いますし

信じる人を否定するつもりもありませんが

改名したり、ラッキーカラーと言われるものを身に付けて幸せになれたら苦労は無いと思いますし

そもそも「幸せ」自体、人それぞれ違う価値観のものであり

他人から見たら「そんなこと」と思うことでも

ある人にとっては「幸せ」であったりするのではないかと思う私です

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2008/01/18

泣かないで

昨日、お酒を飲んで車を置いて帰ったので

今日は久しぶりに電車通勤でした

自宅から駅まで歩いて

駅前のパン屋さんの脇に置いてある灰皿のところで寒い曇り空の下で一服しながら思い出した話

それは30数年前のこと

その日も今日と同じようにどんよりした寒い日だったと思う

高校3年生だった私は

家で大学受験のための勉強をしていました

母親に「電話だよ」と言われ

出てみると同級生の女の子からで

「駅前の喫茶店にいるから出てこない?」と言うので向かうことに

喫茶店のドアを開けると

奥の席に座っていた彼女

向かい合って座り「どうした?」と聞くと

しばらくためらった感じの後

「お父さんの仕事の関係で関西へ引っ越すことになったの」と

その表情は今にも泣き出しそうだ

と思ったら

声を出して泣き出した

「いつ?」と聞いた私に

泣いている彼女の返事はすぐに返ってこない

満席に近かった喫茶店のお客さんはみんな見てる

みんな俺が泣かせていると思っているんだろうなぁと心の中で思いながら

「泣いてたら話にならないから泣くなよ」と言う私に

「うん」と答えたものの、やはり泣きやまない彼女

店内の冷たい視線の中

そこから長い時間が始まった

実際には1時間半ほどだったのだと思うが

私には5、6時間に感じた

そして、相手が泣きながらの会話は実際の時間ほど会話にならなず

後日また会う約束をして別れた

数日後

私は彼女の家の彼女の部屋にいた

また泣かれて冷たい視線にさらされるのが嫌で

私が彼女の家へ行くことになったのだが

この日は落ち着いていたのか

どうしようもない現実を受け入れることが出来たのか

彼女は予想外に明るかった

明るく振舞っていたのかも・・・

彼女の部屋にはピアノがあり

「お前ピアノ弾けるの?」という私に

「私がピアノ弾いたらおかしい?」と彼女

私が「ピアノってイメージじゃないよな~」と言えば

「あなたにとってピアノは顔で弾くってイメージなの?」笑いながら彼女が言った時ドアがノックされ

彼女のお母さんがお茶を持ってきてくれ

2人の話し声が聞こえていたらしく

「顔でピアノが弾けたらテレビに出れるのにね~」と言い

3人で笑った

彼女の母親は笑いながら彼女に「ちゃんと弾けるところ見せてあげれば」と言い部屋を出て行った

「お前のピアノ聴いてみたいな」と言う私に

日頃はなかなか素直に「うん」と言わない彼女が

「うん」と言い

「何がいい?」と聞いてきて

「なんでもいいよ。得意なやつで」と言う私に

しばらく考えて弾き出したのは

サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」だった

得意な曲ではなく

私の好きだった曲を選んだようだ

おかげで

今もこの曲を聴くと彼女のことを思い出します

その2ヶ月ほどして引っ越していってしまったため

彼女がピアノで弾いて聴かせてくれた最初で最後の1曲だったのに

不思議に今でも耳の奥に残っている感じがしています

| | コメント (6)

2007/12/25

最後の贈り物

平成8年のクリスマスに貰ったプレゼントのシャツ

003

誰からのプレゼントかというと

妻からのクリスマスプレゼント

翌年の3月に妻は亡くなりましたので

これが最後の贈り物になってしまいました

だいぶ着古して、少々疲れてきた感じのシャツですが

私の処分をすることの出来ないプレゼント品の1つです

そんなわけで、ここ数年は年に2、3回しか着ないようにしています

プレゼントされた時、私は39才で

50才になり少々派手な感じになりつつもありますが

大事に一生着ていこうかと思っています

私が死んだら

棺桶にはこれを着せて入れてもらおうかとも思っています

死に装束は白じゃないと駄目なのだろうかな?

| | コメント (2)

2007/12/18

入院

それは45年ほど前の話

4才ぐらいだった私は

母親に連れられて

というか

無理やり手を引かれて歩いていた

もの凄く夏の暑い日

途中で座り込んだ私は

「もう歩くのいやだ」と駄々をこねた

当時4才の私が鮮明に記憶しているのはここだけだ

子供心にも、いつもとは違う何かを感じていたのかもしれない

後に聞いた話で

それが病院へ向かう途中であったこと

その日が父親の手術の日であったこと

当時、重い病とされた結核の手術を受けた父は

その日、生死の境をさまよったとのことだった

最後になるかもしれないその日に

母親は私を連れて都内の病院へ向かったのだ

何もわからない私は

電車に乗せられ

駅からは猛暑の中を歩かされ

途中で何度も何度も休みながら歩いたことだけを覚えている

これが私の入学前の唯一の鮮明な記憶だ

幸い父親は、その後数年入院をしたが

元気になった

職場にも復帰し

60才の定年まで働き

今は、1年の365日中360日ほど大好きな囲碁に出かけていく

その父親が2度目の入院をし

明日手術をする

あの暑い日は寒い日に変わり

歩いていった道のりは車に変わったが

結果だけは同じように「幸い」となってもらいたいと思う

| | コメント (8)

2007/12/17

結婚理由

それは十数年前のこと

バブル期で仕事も忙しく

私は毎日21時や22時頃帰っていた

疲れて帰り、食事をして風呂に入って寝る日々が続いていた

その日も

いつものように帰り

私はネクタイをはずし着替え

妻はその間に食事の支度をしていた

そこへ

小学1年生か2年生だった娘が私のところへやって来て

「お父さんは何でお母さんと結婚したの?」と聞いた

「うん?」と思ったが

私は軽い気持ちで

「お母さんが結婚しようと言ったからだよ」と笑いながら答えた

娘は「ふ~ん」と、わかったのだかわからないのだかという返事をした

「他に何か聞きたいことはあるの?」と私が言うと

「それだけでいいよ。おやすみ」と言い自分の部屋へ入っていった

そして、食事の支度ができて

私は食事をし

向かい合って座ってお茶を飲んでいた妻が「○○○(娘の名前)が『お父さんは何でお母さんと結婚したの?』って聞かなかった?」と聞いてきた

「うん、さっき着替えてる時に来て聞かれたよ」と答える私に

「それで何て答えたの?」と妻

「『お母さんが結婚しようと言ったから』って言ったよ」と答えると

「え~」と言う妻

話を聞くと

その質問は、学校の宿題だという

「作文か何かにされて参観日に読まれでもしたら嫌だなぁ」という妻

「本当の話だからいいんじゃないの?」と笑いながら言う私に

「何でも本当のことを言うのがいいとは限らないよ」と反論が返ってきた

「そう思うのなら、先に『宿題でこんな質問されるから』と言ってくれればよかったのに」と私は言ったのだが

すでに後の祭り

私が「ところでお前は何て答えたの?」と聞くと

「私はちゃんと『お父さんは、優しく頼りがいがあったし、昔はかっこ良かったしね』と答えたわよ」と言う妻

まぁ、それがちゃんとしているか、あるいは低学年の小学生への答えとして適当かは少々疑問でもある気がするのだが・・・

その後、「ヤダな~」をしばらく連発していた妻が

「明日の朝、『本当はね』って、もっともらしいことを言わない?」と私に提案してきた

私は「どこのうちも同じじゃつまらないからいいんじゃないの?」と笑いながら言ったのだが

それでも「ヤダな~」が続くので

「俺がお前と結婚しようと思ったのは、小さなことをジクジク気にしないところなんだけどな~」と私がとどめの一言

「そんなうまいこと言うのなら、娘に聞かれた時に言ってくれれば良かったのに・・・・」と、まだ言う妻

「一晩寝たら嫌なことも忘れられる立ち直りの早さも好きなところなんだけどな~」と言う私に

やっと諦めたようで「もういいよ」となった

世の中には

私以上に正直なお父さんもいるだろうから

「お前が出来ちゃったから」なんて答える人だっているんじゃないだろうか?と思うのは私だけかな?

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007/12/14

33回転

誕生日でもクリスマスでもなく貰ったものがある

ある日、誰のレコードだったかは覚えていないのですが

彼女にLPレコードを借りることになり

彼女がLPレコードをキルト地の手作りの袋に入れて持ってきた

それは、およそ30cm四方の薄い袋で

マジックテープでバリッと閉じられるようになっていた

LPレコードを保護するために彼女が作ったもので

当時、レコードを友達と貸し借りすることが多かった私は

「これいいね。くれない?」と聞いてみた

というか

そう言ったらきっと貰えるのでは?と思いながら私は言ってみたのだ

案の定、彼女は「この袋は随分使い古しているから新しいのを作ってあげるよ」と言ってくれ

数日後、新しいキルト地の袋を持ってきてくれた

その後、その袋は大活躍することになり

あちこちの友達のところへ行くことになり

中には「俺にも作ってもらってくれよ」なんて言う奴までいた

「や~だよ!自分の彼女に作ってもらえよ」と私は答えた

さらに、車の中でころがっているカセットテープを見て彼女は

「これ入れるのもキルト地で作ろうか」と言って作ってくれた

中に入るLPレコードやカセットテープは変わっても

そのキルト製の入れ物は活躍し続けた

やがて

レコードはCDに

カセットテープはMDに変わり

徐々に使われなくなった手作りの袋たち

LPレコード用の袋は

いつの間にか行方不明となってしまった

たぶん、誰かに貸したレコードとともに帰ってこなかったのだと思う

33回転のLPレコードは何かのんびりと回っていた感じがするのは気のせいだろうか・・・

| | コメント (2)

2007/12/13

バラの花束

今日の昔の話は

プレゼントをあげた話です

昨日書いたウエスタンブーツをプレゼントしてくれた彼女の誕生日が2月頃だったと思うのですが・・・

それは、私が後にも先にも初めて花屋さんでラッピングしてもらって花を買った話です

彼女の誕生日を新宿の小さなレストランで食事をして祝うという約束をし

「プレゼントは何が欲しい?」と聞いたのですが

「何もいらないよ」という彼女

私が「そう言わないで何か欲しいものあるだろう?」と言っても

結局最後まで「一緒に食事しながら祝ってくれるだけで充分だから」と欲しいものを言わない彼女

アクセサリーとかバッグとかの小物がいいだろうか?とか色々考えたのだが

気に入らないものをあげてもな~、とか悩みに悩んでいるうちにその日がやってきてしまった

待ち合わせ場所は何度か行ったことがあるレストラン

仕事が終わってからの19時ごろの待ち合わせだった気がする

少し早めに新宿駅に着いた私は

駅近くの花屋さんへ

無愛想に「誕生日プレゼントにお花をあげたいのですが・・・」と店員のお姉さんにつげた私に

愛想良く応対してくれたお姉さん

どんな花にするかも決めていない私に

親切に対応してくれ、相談にのってくれ

「きっと彼女喜びますよ」と私に言いながら

20数本の赤いバラと白いカスミソウをラッピングしてくれた

「ありがとう」と言い花屋さんを出て約束のレストランへ向かう私

歩いて7、8分なのに

今日はやけに長く感じる

スーツにコート姿のちょっと硬派な青年とバラの花束は不似合いな感じがして

すれ違うみんなが見ているような気がしてしまい

思わず早歩きになる私

7分が30分ぐらいの長い時間に感じられたのを覚えている

約束のレストランに入ると彼女は来ていて

花束を持った私を見て微笑んでいる

「それ買って、ここまで抱えて来てくれたの?」と彼女

まわりの人も見ていて

恥ずかしいので「おめでとう」と言い早く渡してしまいたい私

「ありがとう」と受け取った彼女は

「これ持って歩いてくるのって顔から火が出るようだった?」と笑いながら私に聞いた

「うん」と答えた私

「帰りもあなたに持ってもらおうかな~」とからかう彼女

注文を取りに来た店員さんが「お誕生日ですか?」と聞き

お店からのプレゼントですと小さなケーキをサービスしてくれたのを覚えている

食事中の会話は

「買うの恥ずかしかった?」とか

「花屋さんの店員さんと相談して選んだの?」とかだった気がする

新宿駅で別れる時に

「今までもらったプレゼントの中で一番素敵なプレゼントだよ」と彼女が言ってくれ

恥ずかしい思いをしたことが充分むくわれた気がした出来事でした

| | コメント (6)

2007/12/12

ウエスタンブーツ

それは25年以上前の12月

木枯らしが吹いて寒い夕方

私は駅近くのデパートの前で彼女を待っていた

当時、1つ年上のOLのお姉さんとお付き合いしていた私は

仕事を終え

食事デートをする約束でそこにいた

その日はすごく寒い日で

少し早めに着いた私はコートの襟を立てて待っている

ふとデパートの中を見ると

ガラス越しの目の前に靴売り場があり

そこに陳列してあった黒のハーフのウエスタンブーツが目に留まった

私はきっと宝物でも見つけた少年のような目でそれを見ていたのだろう

「お待たせ~」と腕を組んできた彼女の方を振り向いた私

「何を真剣な目で見ていたの?綺麗なお姉さんでもいた?」と笑いながら彼女

「違うよ。そこのブーツ見てたんだよ」と笑いながら私

彼女が「中に入って見てみる?」と聞き

私は「いいよ」と答えたのだが

「まだ時間早いんだから、見るだけでも見ようよ」と半ば強引に組んだ腕を引いていく彼女

店内でそのウエスタンブーツを履いてみて

気に入ったのだが

値札を見て買うのをやめた

当時、働き出してまもない私は自動車ローンもあり

5万円のブーツは高すぎて贅沢な感じがしたのだ

諦めた私は「ご飯食べに行こう」と彼女に言い

2人で歩き出した

ここまでは鮮明に覚えているのだが

その日、どこで何を食べたのかは覚えていない

この話の次に覚えているのは

数週間後のクリスマス・イブの日

デートの待ち合わせ場所に行くと

大きな袋を持った彼女がいた

そう、袋の中身は先日のウエスタンブーツ

あの日、「履くだけ履いてみようよ」と言った彼女は

その時点で「サイズ確認をして、これをクリスマスプレゼントに」と思っていたのだろう

このプレゼント

高いものをもらったことはもちろんだが

それ以上に「本当に欲しいものをもらった」という思いで

その後、大事に大事に使い続けた

皮にはクリームを塗り

使わない夏に向けて春先にはしっかり手入れしてしまい

大切に使い続けたのだが

どんなに大事に使っても、使い続ければ寿命はくるもので

数年前、ついに穴があいてしまった

それでも捨てられずにしばらくは下駄箱の中に置いておいたのだが

家族から「邪魔~」といわれ、ついに処分してしまった

それでも

当時の記憶だけは今も鮮明に残っているし

一生忘れることはないのかもしれない

| | コメント (4)

2007/12/04

手編みのマフラー

先日の「明日から12月」と題して書いたブログの

手編みのマフラーのところに

ちえさん、さじカンさん、オリーブさんからコメントをいただき

忘れかけていたことが色々思い出されてきました

元々、私は昔のことをよく覚えている方ではありません

そのことを、友人には

「山あり谷ありの人生で、平坦ではなかったので、振り返っても遠~くまで山や谷が邪魔して見えないんだよ」と勝手な言い訳をしているぐらいですから・・・

そんな私でも記憶に残っていることもあるわけで

それは時にショッキングな出来事であったこととかであり

また、なぜか「そんなことなぜ覚えているのだろう?」と思うほどどうでもいいことだったりするのですが

手編みのマフラーで覚えていることは

オレンジ色っぽい黄土色と茶色の2色で

少々長めだったこと

何のプレゼントだったかは定かではないのですが

「マフラー」ということからしてクリスマスプレゼントだったのだと思います

正直、当時20才ぐらいの私には

この色合いが好きではなく

それでも「編んでくれた」という想いに応えようと

その冬に何度か使った覚えがあります

たぶん、次の年は使わなかった(?)

というか

次の年は違う人とお付き合いをしていたのかも?(笑)

その後、洋服ダンスの中で眠り続けることとなった手編みのマフラーですが

8年ほどして再び陽の目をみることになります

働き出してまもなく私は家を出てアパートで1人暮らしをしていて

しばらくして結婚し、そのアパートに住んでいたのですが

妻の妊娠とともに住み慣れた我が家に戻ってきたのです

家を出てアパート暮らしを始めた時に布団と着替えとラジカセしか持って出なかった実家の私の部屋は

昔住んでいたままの状態でしたので

妊娠で仕事を辞めた妻の整理というか探検が始まったのです

私が仕事から帰ると

あんなもんがあったよとか、こんなもんがあったよとか言っては出してくる日が続いて

ある日なんか

「昔の彼女たちと撮った写真がた~くさん出てきたけどどうする?」と言って迎えてくれました

「どうにでもすれば」と言う私に

「この子可愛いよね」とか「これってどこ?」とか

まだまだ突っ込みたくてしょうがない感じ

そして、数日後

仕事から帰ると部屋の中でマフラーをしている妻

「どうみても手編みで彼女のプレゼントだよね~」と笑っている

「うん、20才ぐらいの時にもらったやつだよ」と私

「20才じゃちょっと地味だけど、今ならいいかも」と妻

なるほど、言われてみればそんな気もするが

まさか昔の彼女のプレゼントを今更使うのもどうかと思い

私が「好きにすれば」とあいまいなことを言うと

「じゃ、あたしが使おうかな~」と予想外のことを言いやがった

黙っている私に

「よく編めているし、折角の手編みを無駄にしちゃいけないからね」と追い討ちをかける

私も「昔の彼女の怨念でお前の首がキュっと絞まるぞ」と反撃

その後その手編みのマフラーを見ることはなかったので

他のものと一緒に処分されたのではないかと思います

形あるものは、いつか処分されるか

壊れたりして処分せざるをえなくなるのでしょうが

記憶の中からだけは消すことは出来ないのかもしれないと思います

| | コメント (8)

2007/11/15

アルマーニのジーンズ

十数年前のいただきものです

003

ARMANI JEANZ

002

誰にいただいたかというと

会社の後輩のS君で

体型もほとんど同じで仲の良かった2人

当時、少々お腹が出てきたことが嫌で

ジョギングを始めた私

仕事を終えて帰り、食事をしてから一休みして

夜の街を30分から1時間ジョギングをしていました

最初は「走ると胸が揺れるからブラジャーして走るようか?」と冗談がでる体型も

1年も続けると当然スリムになるものです

そんなある日

会社でS君が「穿けなくなったアルマーニのジーンズがあるのですけど、穿きます?」と聞いてきた

買った時はピッタリサイズのジーンズだったが

ウエストが太くなりS君には穿けなくなったという

それでも、いつか穿ける日が来るかもしれないと思い

高かったし、もったいないからと捨てずにとっておいたのだというアルマーニのジーンズ

私が「貰っちゃっていいの?」と聞くと

「自分はこれが穿けるウエストにもどることは一生無いと思いますから」と笑いながら言っていた

次の日、S君が持ってきてくれ

穿いてみるとピッタリ

ありがたく、いただくこととなった

それから数回穿いただろうか・・・

その数ヵ月後に突然妻が亡くなり

小学生2人の父子家庭の父親となった私

仕事から帰宅したら子供の面倒をみなければならず

ジョギングどころではなくなり

少しずつ体型は太くなり

アルマーニのジーンズはタンスの中で眠ることとなってしまった

そして10年がたち

ジョギングはウォーキングに代わって再開され

さらにツイストステッパーも加わり

ウエストもだいぶ細くなってきた

「あのジーンズが穿けるだろうか?」と先日穿いてみると

見事穿けました!

一時は、当時のS君と同じように

これが穿ける日が来るとは思わなかった私

子供たちの面倒をみることが中心で「自分の時間」なんて無かった

子供たちも成長し

今、「自分の時間」が持てるようになり

そのありがたさや重要性を感じながら生きています

| | コメント (0)

2007/11/06

YOKOHAMA

それは30年も前の話

まだCDなんてなくてレコードだった時代のこと

大学生だった私は

飲み会の後

仲の良かった1年後輩のM君の安アパートへ泊めてもらうために彼の部屋へ行った

貧乏学生の何も無い彼の部屋には不釣合いなオーディオセットが置いてあり

彼の部屋へ向かう途中に買った缶ビールを飲みながら

彼が1枚のレコードに針を置いた

流れてきたのは

♪こぼれ落ちた夜を拾い集めて・・・

と、柳ジョージ&レイニーウッドの曲

そのLPレコードは心にしみわたる感じがして

次の日、自宅へ帰る途中その「YOKOHAMA」というアルバムを買って帰った

それから学校から帰ると毎日聞いていた

まさしく針で擦り切れるほど

カセットにも録音して車の中でも

いつも同じものが流れている私の車に乗った当時の彼女は

「他のカセットないの?」と言うぐらいそれはしばらく続いた

そのくらい好きだったこのアルバムだが

就職し、忙しくなり徐々に聞かなくなり

いつの間にか忘れていった

それから十数年経ち

CD化された「YOKOHAMA」を偶然CD屋さんで見つけた

Yokohama_003

Yokohama_004

柳ジョージ&レイニーウッドといえば

CMで使われた「雨に泣いている」と「微笑みの法則」が有名だが

私はこの「YOKOHAMA」というアルバムが好きだ

スローバラードの「プリズナー」や「港亭」もいいし

アップテンポな「グルービー・ガール」や「チャイニーズ・クイーン」は

ついついアクセルを踏みぎみになる

30年前に好きだった時と少し違うのは

「曲が好き」ということにプラスして「思い出」がこもっているということだろうか

寂しがり屋のお酒好きにはお勧めの1枚かも

| | コメント (10)