昔の話

2013/01/29

サンダーバード

ここのところ増々地デジでテレビを見ることが少なくなっているカー助

日本のドラマもバラエティ番組と言われる笑えないお笑い番組も見ませんので

ニュースとスポーツ中継以外は地デジテレビと無縁になりつつります

その分増えているのがケーブルテレビの視聴ですかね

ディスカバリーチャンネルはよく見るようになりましたし

旅チャンネルも時々見ています

それとスポーツ専門チャンネルに

海外ドラマを放映しているスーパードラマTVとAXN

まぁ、これらのチャンネルを見ていたら地デジはそれほど必要なくなって当然ですかね

そんなスパードラマTVで

先週から「サンダーバード デジタルリミックス版」の放送がはじまりましたので

昔を思い出しながら見てしまいましたhappy01

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イギリス製作の人形劇で

子供のころ夢中になって見ていたものです

当時、カー助はサンダーバード2号のプラモデルを持っていて

普通のプラモデルは作ってしまうと楽しみが終わりな感じが多いですが

2号は中央の格納庫が別売されていて

その中にいろいろな機材も入れられ

それで夢中になって遊んでいたことを思い出しましたよ~coldsweats01

今のCGを使った特撮ものに比べたら

はるかにちゃち~できではありますが

子供のころの気持ちが蘇り

ちょっとウキウキしちゃいましたし

「サンダーバード2号のプラモデル今でも売っているのかな?」とアマゾンで調べてみると

安いものは200円で

数千円のものが多くあり

高いものは12万円だってsign01happy02

まさに昔懐かしい大人が買うって感じの値段ですよね

そこまでの値段のものを買いたいとも思いませんので

テレビで懐かしく昔を思い出しながらまた見たいと思います

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2011/10/14

柳ジョージさんが亡くなられた・・・

だいぶ前のブログに

カー助の好きなレコード(CD)の1つに

柳ジョージとレイニーウッドの「YOKOHAMA」があると書いたことがありますが

今朝、NHKのニュースを見ていると

「柳ジョージさんが亡くなられました」と伝えられているではありませんか

まだ、60代。早すぎますよね

訃報を聞いて思わずというか頭の中を

note波が荒いね~ 今日もま~た~

と「YOKOHAMA」の中におさめられている『港亭』のメロディが駆け巡ってしまいました

35年ほど前

カー助がまだ大学生だった頃

LPレコードからカセットテープにダビングして

ドライブの時にいつものように聞いていた柳ジョージさん

ドライブの時は

アップテンポな「グルービー・ガール」や「チャイニーズ・クイーン」がお気に入りでしたが

今朝、頭の中に流れたのは

バラード調の「港亭」でした

青春時代はとっくに終わっているカー助ですが

なんか思い出の1つも終わってしまった感じというか・・・

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2011/02/04

大相撲で思い出した話

昨日の記事で大相撲のことを書きながら思い出した話です

それは40年以上前の

カー助が小学生だった頃

隣町に住んでいたおばあちゃんが

月に1度、病院に来たついでに

我が家へ寄っていくのでした

小学校から帰るとおばあちゃんがいて

いつもかっぱえびせんを買ってきて

一緒に食べるのが日課になっていました

ある時

テレビで大相撲を見ながらかっぱえびせんを2人で食べていると

自分の好きな力士が負け

その一番が流されるVTRを見ながら

「今度は勝つといいね」とおばあちゃん

「うんsign02」と思ったのを覚えています

まぁ、VTRですので絶対に勝つわけないのですが

お気に入り力士を応援するおばあちゃん

今考えると

ありえないような話ですが

おばあちゃんにはVTRがよくわからなかったのか

それほどまでにその力士を応援したかったのかは

今となってはわかりませんが・・・

やがてカー助が中学生になり

帰宅時間が遅くなり

自宅に帰り着くとおばあちゃんは

すでに帰っていて

かっぱえびせんだけが置かれていました

それを見ると

「あ~おばあちゃん今日来たのだな」と思ったものでした

かっぱえびせんを見ると

今でもあの頃のおばあちゃんを時々思い出すカー助であります

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2010/09/03

それだけは新しくならない?

昨日のブログ記事へのとんちゃんのコメントで思い出した話です

サラリーマン時代に

Tさんという先輩がいて

新しいものが大好きというか

手に入れたものは少しすると飽きてしまう人で

車も「あれっ、また?」と思うほど乗り換えていました

Tさんは

結婚はしていましたが

子どもはいなくて奥さんと2人暮らし

まぁ、生活に余裕があったから出来たのかもしれませんが

誰かが新しいノートパソコンを買えば

自分も新しいものに買い換えるというように

周りが感心するというか

呆れるぐらいの新しいもの好きというか

買い物魔で

その日も

Tさんが買い換えた車で

お昼休みに数人でランチに出かけました

新しい車を手に入れた嬉しさからか

Tさんが

あそこがいい、ここがすごいと話していると

Yさんが

「T、お前本当に新しいもの好きだよな~」と言うと

「そういう性格なんだよ」とTさん

そしてYさんが言いました

「奥さんはあんな古いので我慢しているのはおかしくないか?」と

アイスコーヒーを飲みながら聞いていたカー助は

アイスコーヒーが鼻に入ってしまい

思わずむせながら

『Yさん、いいことというかすごいこと言うなぁ~』と心の中でうなずいてしまいましたcoldsweats01

Tさんはしばらく黙ったあとに

「車は下取ってもらってお金がもらえるけど、かみさんと別れるのには逆に金がかかるからな~」と言い

またまた『おっ、返答としてはこれも中々で、ある意味的を得てるじゃん』と心の中でうなずくカー助

そんなやり取りを忘れた頃

Tさんの家で飲んでいる時

酔っ払ったYさんが

「奥さん、Tは本当は女房も新しいのがいいんだけど、別れるのにお金がかかるから古い奥さんで我慢してるんだってよ」と言うではありませんか

今度は飲んでいたビールが鼻に入ってしまったカー助で

『まぁ、本当かもしれないけど、ここで言っちゃダメでしょう~』と心の中で思っていると

「車ならレトロになればまた価値が出るのでしょうが、おばさんはそうもいきませんからね」と言った奥さんは人間が出来ていますよねgood

新しいものと古いものを上手に使い分けられたら幸せな人生なのかもしれませんよねhappy01

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2010/07/06

寄居 星の王子さまPA

関越道上りの寄居パーキングエリアが

6月30日に

リニューアルされて

「寄居 星の王子さまPA」になったとニュースでやっていましたので

寄ってみることにしました

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建物は南仏風だそうで

星の王子さまの銅像もあり

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おなじみのイラストも描かれています

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関連グッツ等を売っているところもあり

かなり盛況な感じです

「おとなは、みんな、はじめは子どもだった(しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない)」で始まる

サン=テグジュペリの小説『星の王子さま』は

30数年前

カー助が高校生だった時に

当時、付き合っていた彼女がプレゼントしてくれた1冊でもあります

多分、我が家を探せば

どこかにこの本はあるはず

そんなことを思い出させてくれたとともに

毎日、忙しくしているうちに

忘れてしまっている大事な何かを少し思い出させてくれもした気がします

この『星の王子さま』は

決して子供向けの本だとはカー助は思いません

「大事なものは、目に見えない」は

つい忘れがちになりますが

忘れてはいけないことの1つかと思いますし

近くにこのようなパーキングエリアができたのですから

ここを通るたびに思い出し

忘れぬようにしたいものです

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2010/03/19

遠~い昔の話ですが

ブログネタ: 「卒業」といえば?参加数拍手

先日、中学校の前を通ると

人だかりがしていて

校門のところには

『卒業証書授与式』の立て看板がありました

そうだ~

卒業式は、卒業証書授与式っていうのが正式な言い方だったんだよねと思い出しました

出席した我が子の卒業式ですらしばらく前の話ですし

まして自分の最後の卒業式はといえば

大学の卒業式で

考えてみると

ちょうど30年前ですので

遥か大昔という感じがしますよね

もっとも

カー助はその最後の卒業式に出席していないのですが・・・coldsweats01

カー助の卒業した某マンモス大学は

入学式と卒業式を日本武道館でやっていまして

入学式は出席したのですが

卒業式は出席していません

まぁ、入学式も

式に出席したいからというよりは

日本武道館に入ってみたかったからという不純な動機でしたが・・・coldsweats01

マンモス大学の卒業式は

全員に式で卒業証書が授与されるわけではなく

総代の人が代表でもらうだけですし

「お決まりのあいさつを聞いてもしょうがないだろう~」と思ってしまったわけです

卒業証書はといえば

卒業式が終わった時間から

教務課に行き

学生証と引き換えにもらえるようになっていて

地方から出てきていた悪友たちの

「これでもう2度と会えなくなるかもしれないから、最後に『お別れ麻雀』をやろう」との誘いに

大学近くの雀荘で麻雀をしていたのです

まぁ、その後も付き合いが続いている悪友もいれば

本当にこの時が最後になってしまった悪友もいますので

それはそれで良かったのかもしれないと思っています

みんなで大学の教務課へ行って

学生証を提出し

筒に入った卒業証書をもらい

中身が間違いないか確認した時が

自分の卒業証書を見た最初で最後の時だった気がします

今、あの卒業証書はどこにあるのかな?sweat01

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2009/09/17

母親似のカー助?

先週書き込んだ記事「新しい命」にいただいたみなさんのカー助の母親のことのコメントを読みながら

これまた思い出した話で

当然かもしれませんが

カー助の母親のユニークというか

迷惑というかとぼけた話は最近に始まったわけではなく

昔からなのですよね~

昔は携帯電話などありませんでしたから

用事があれば家へ電話するしかありませんでしたよね

我が家は2階建てで

カー助の部屋は2階にあり

当時、親子電話でもなかった我が家の電話は1階にあって

たいがい電話が鳴ると母親がとるというパターンが多く

その日も「電話だよ~」と言われて1階に降り

電話を受け取り、話をしたあと

母親に「ちょっと出かけてくる」と言って外出し

1日遊んで帰って来て

しばらくすると

また「電話だよ~」と言われて電話に出ると

別の女の子の友達からで

「午前中に電話したら、お母さんが出て『さっき女の子から電話があって出かけて行きました』って言ってたよ」と言わたことがあります

その電話を切ってから

母親に「余計なこと言わなくていいよ」と言えば

「本当のことは余計なことかねぇ」と言いますし

ある時など

私の留守に電話をした女の子が

「もう少しまともな男を探した方がいいんじゃないの」と電話でうちの母親に言われたそうで

「どうしてそういうこと言うかなぁ?」と聞けば

「電話での話し方が真面目そうだったから、お前にはむいてな気がしたからね」などど言うのには参ります

普通、自分の息子の彼女は真面目そうな方がいいだろうと思うのですが

真面目そうな子は、私には似合わず他の男を探せというのでは

我が子は可愛くないのか?と思ってしまいますよね

大学生の時など

私が留守の時に電話があると

「土日は間違いなく毎週いませし、まぁ、帰ってもこないと思いますよ」と言ったり

「何時ごろ戻られますかね?」と電話で聞かれれば

「さぁ~、もう小さな子供じゃないですからそこまで管理してませんからね~」と言ってみたり

「私はマネージャーでも秘書でもありませんからね~」と言ったりもしたそうで

留守に電話をくれた人に次に会ったり

再度電話をもらったりすると

「カー助のお母さん面白いよね」とイヤミともとれることをよく言われたものです

最近では

私の息子(ばあさんからすると孫)に

いい人はいないのか?とか

そろそろ結婚をしたほうがいいんじゃないかsign01ということもあり

そんな時に

「お父さんの若いころは毎日毎日女の子から電話があったのにね~」とか

「それも何人も違う子から・・・」とか余計なことまで言っています

父親は父親で

息子がそれに似るとは限らないですし

今は時代も違い携帯電話に電話が出来るのですから

比較すること自体に無理があるとも思います

まぁ、カー助の母親ですから

一筋縄ではいかないのも仕方のないことかと思うのですが

時々「おい、おい」と思うようなことをやらかしたり

言ったりしてくれるわけで

その血筋というか

そんな母親似育てられた環境なのか

カー助は母親に似てしまったような気がしますし

娘にも私の血なのかばあさんの血なのか

ばあさんが育てたからなのかわかりませんが

それなりに影響しているようですが

息子はそんな血筋に関係なく育ったというか

亡くなった妻ににている感じで

ばあさん→カー助→娘が似た性格をしているのですから

1人違う感じの息子からしたら我々は大きな迷惑だろうとも思いますcoldsweats01

そんな母親似のカー助ですから

ひとこと多い性格なのは自分でもうなづけたりしますよね~coldsweats01

と他人のせいにするのはやっぱりダメですかねsweat02

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2009/09/15

追い越し禁止では捕まったことがありました

先週から昔の話シリーズのような書き込みが多くなっていますが

またまた

先週書いた「今では出来ませんが」へのとんちゃんのコメントの

「急いで吹田あたりのオービスにかかりませんでしたか?」というので

「そういえば・・・」と思い出したのが

スピード違反ではなく

追い越し禁止違反で捕まってしまったことです

場所はといえば

岡山県の山の中

九州での仕事を終え

山陽地域の仕事も終えようとしていた時で

少しだけ予定より遅れ気味の時間を何とか取り戻したいと思って

スピードを上げて車を走らせていると

岡山県の山中のくねくねした道で

ゆっくり進む車列の最後尾についてしまい

「なんだよー」と思い

イライラしながら

しばらくその車列の最後尾を走っていると

やがて、新しく作られたような道にさしかかり

こちらの山から下って

むこうの山へ登っていく真っ直ぐな長~い道になり

私が巻き込まれている車列の先頭に

タンクローリーがいるのが見え

さらには

真っ直ぐな道ですので

対向車が来ないことも確認でき

『ここで追い越せますよsign01』とばかりの環境に

急いでいたカー助は

黄色いセンターラインをまたいで対向車線へ出て

一気に加速しタンクローリーを先頭とする車列を抜き去り

元の車線に戻ったところで

むこうの山の中腹からパトカーが赤灯をつけて出てきたのを発見sign03

まぁ、その時はすでに遅しでしたが・・・coldsweats01

お行儀のいいカー助は

そのパトカーの手前に左に寄せて停車し

警察官が寄ってきて

「ずいぶん追い抜いたね~急いでいるの?」と言われますので

「ハイ、急いでいます」と素直なカー助が答えると

「何台追い抜いたかわかる?」との質問をされましたが

数えていなかったカー助は

「数えていませんでしたのでわかりません」と答えると

「13台だよ」と警察官がおっしゃいますので

「1台と13台と罰金や違反点数に違いがあるのですか?」と思わず素朴な疑問を聞いてみるカー助

「違反内容や罰金は同じだけど」と警察官

すると

もう1人の年配の警察官が

「そんなに一度に追い抜いたら危ないだろうってことだよ」とのありがたいご忠告

パトカーに乗り、免許証を出し

親指を立てているカー助に

「何してるの?」と警察官

「いやぁ~急いでいるので、早く違反切符をきってもらって拇印を押して行きたいので、その用意です」と言ったカー助に

「なんだぁ、ずいぶん違反慣れしてるんじゃないか?」とイヤミを言われ

「それほどでもありませんよ~」と謙遜して(?)カー助が言うと

免許証を見ながら「埼玉から来てるの?仕事?」と質問されましたので

「おまわりさんたちと一緒で仕事中です」と笑顔で答えたカー助

拇印を押して違反切符をいただくと

「まだまだ道中長いのだろうから違反せず気をつけて行きなさい」と言われ

「ハイ、わかりました~」と元気に答えて車に乗り込み

走り出してバックミラーを見ると

パトカーは先程出てきた横道に入って行きました

遅い車がいて

追い抜けない山道が続いたあとにあるこの直線道路部分は

絶好の追い越し禁止違反を捕まえる場所なのだな~と1つ勉強にはなったのですが

やはり罰金は痛かったですよねdowncrying

2年弱担当していた九州、山陽地域へ営業に行っていて

これが唯一違反で捕まった経験で

その後に都内で何度か駐車違反では捕まりましたが

大きな違反点数のもので捕まることがなかったのは幸いですかね

少し前からはカー助もゴールド免許ですので

このままゴールド免許でドライバー人生を続けたいとは思っていますが

忘れたころに捕まるのが交通違反だったりもしますから気をつけたいと思いますcoldsweats01

そうそう

違反だけじゃなく事故もしないようにですよね~

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2009/09/09

「もしも」は、ありえないのですが・・・

昨日の記事を書きながら

さらに思い出してしまったことがあります

昨日も書きましたように

かなりハードな日程の営業活動を続けていた若かりし日のカー助青年は

自分で言うのもなんですがcoldsweats01

お客さんの評判もそこそこ良く

売り上げも順調に伸びていました

そんな中で

ある1軒の得意先の売り上げは4倍ほどに伸び

そこの社長にもかわいがられ

訪問時に社長が出かけていると

経理担当をしている社長の奥さんとお茶をいただきながら世間話をしたりして社長の帰りを待っている時に

「あんた、若いのに何でそんなに一生懸命働くの?」と聞かれ

「う~ん、お金貯めて買いたい車があるからですかね」などと答えたような記憶があり

ある時

その社長に「今晩、うちへ来て夕飯を食べないか?」と誘われ

ご馳走になることとなり

大~きな家へお邪魔し

色々な話をしているうちに

社長が「うちへ婿養子に来ないか?」と言い出しました

「・・・・・」という感じのカー助に

「俺のところは娘2人で、うちの奴も君みたいな働き者が婿養子に来てくれたらと言っているんだよ」と続けた社長

「いやぁ~」と突然の話に戸惑うカー助に

「婿養子に来てくれたらベンツでもダンプでも買ってあげる」と奥さん

ベンツはともかくダンプはいりませんが・・・sweat02

この話

こちらを担当しだして1年半ほどのころで

それからまもなく担当をはずれることもあり

「申し訳ありませんが私は1人っ子なので婿養子には行けません」と丁重にお断りすることとなりました

若くてまだまだ純でしたので

ベンツにつられることもなかったというか

娘さんはカー助のタイプじゃなかったというのもありましたがcoldsweats01

もし、娘さんがカー助のタイプだったら

どうなっていたのでしょうかね~

まぁ、人生に「もしも」はありえず

戻ってやり直すことも出来ないからこそ面白くもあり

時に残酷でもあるのではないかとカー助は思っています

人生にはいくつも分かれ道があり

その時に良さそうな方を選んだからといって

その後もずーーーーっといいとも限りませんし

今頃ベンツのオープンカーを乗り回している可能性もありますが

会社を潰して路頭に迷っている可能性だってあると思います

まぁ、そんな昔の話を冗談まじりに出来ることは幸せなことなのかもしれませんし

小さなことからどんどん昔のことが思い出されるということは

それだけ年を取ったという証拠でもありますよね~

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2009/09/08

今では出来ませんが

昨日の記事へのとんちゃんのコメントで思い出した話です

それは27、8年前の私が20代中頃だったころ

営業の仕事で九州、山陽方面へ行っていたのですが

今から考えると

もの凄くハードだったと思うのですよね~

確か夕方6時半ごろ出港のフェリーに神奈川県の川崎から乗り

翌日の午後2時半か3時ごろ宮崎県の日向へ着いて

そこからは延々車での移動でした

まず、このフェリーに乗るまでが気分が重かったのを覚えています

別にフェリー自体が嫌いなわけでもなく

右手に街の灯が見えるような沿岸を走っていくフェリーですから

それほど揺れるようなこともありませんでしたし

昼間に暇で海を見ていると

イルカがフェリーと並んで泳いでいる光景なんかも時々見れたりすることもありましたしね

では、何が気分を重くさせていたかというと

そこから始まる10数泊もの長~く1人での出張が嫌だったのです

こういうのって乗るまでは嫌なのですが

日向に着いてしまえばそれはそれで諦めというか

よーし、やるしかないsign03という感じになれたものでした

当時は海沿いに高速道路などなく(その後行ったことがないので、今あるのかどうか定かではありませんが・・・coldsweats01

延々海沿いの国道やら一般道を移動しながら客先を回っていたのです

日向から本来は時計回りに九州を1周するのですが

日向より北に宮崎県の客先があったため1度北上し宮崎県北部で仕事をし

同じ道を戻り

それから宮崎市内へ行き、

鹿児島県、熊本県、長崎県、佐賀県、福岡県とほぼ各県に1泊しながら回り

残った大分県へ南下して仕事をし

また戻って関門橋を渡って山口県へ入り

広島県、岡山県で仕事をしているころには疲れきっていたと思いますdown

それでも

岡山で仕事を終えるのが

いつも午後の4時~5時の間ぐらいで

会社へ「今、全て終わりました」と電話を入れると

「ゆっくり1泊して帰ってこい」と言われるのですが

10数泊もビジネスホテル暮らしをしていると

「もう嫌だsign03」って感じになり

早く帰りたいと

そのまま当時全線開通していなかった中国道の津山ICから乗って帰路についたのです

途中、給油と食事で2回休む以外は走りっぱなしで

会社はもう閉まっている時間ですので

我が家へ直接帰るのですが

その時間は午前2時とか3時だったことを覚えています

中国道を走っている時は

『大阪○○○km』という看板が出ていて

大阪を過ぎると

『京都○○km』になり

やがて『名古屋○○○km』という表示が出てきて

名古屋を過ぎると

確か『東京3百何km』という看板が出てくるのですが

まだまだ3百何キロもあるのに

「うわぁ~帰ってきたsign03」と嬉しくなったのを覚えています

そういえば

ラジオを聞きながら走っていたのですが

いつも静岡県あたりを走っていると日付が変わり

ラジオのDJの挨拶が

「おはようございます」になるのですよね

俺は寝てないんだから『おはよう』って言うんじゃないsign01って車の中でひとりごとを言いながら運転していましたよ~coldsweats01

それと覚えているのは

九州や山陽方面のお客さんが

月に1回やってくる20代のカー助に

「お前よくやるよなぁ」と言いながら良くしてくれたことですかね

よくお昼ご飯をご馳走になりましたし

カー助が自分の息子と同じくらいだという人には

「車の中で飲みなよ」と缶入りの飲料をいただいたりもしましたし

「気をつけて、また来月も来なよ」と暖かい言葉をかけてくれた人もいました

まぁ、今では到底出来ませんが

若かったから出来たのでしょうし

冷静に考えれば

ちょっと馬鹿で超~元気じゃないと出来ないかも?coldsweats01

ちなみに

この長~い出張は

「このままではカー助が会社を辞めちゃうか、死んじゃう」とのことで

九州営業所を作ることになるまでの2年弱続いたのですが

まぁ、1日も早く終わらせて帰りたいという感じでしたので

2年弱も毎月行きながら

どこ~も観光しなかったというか出来ませんでしたよね~

要領よくなりすぎた今なら

あっちこっち観光していたことだと思いますcoldsweats01

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